憲法を作ろう(シリーズその1・天皇)


4千キロほど離れた「あの国」にもはや未練はないのだが、やはり「反自民・半安倍、かつリベラル改憲派」の立場としては、憲法草案のひとつくらいは書いておくのが責務というものだろうと思い、かれこれ4ヶ月ほどかけて憲法草案を書いてみた。以下がその改憲案である。
 
新憲法案PDF(新しいウィンドウ)
 

これから何度かにわたって、この憲法草案について書いてみようと思う。
 

第一回はやはり、旧憲法の第1条である「天皇」だろう。私は天皇制反対派なので、当然ながら新1条は天皇制についてではない。民主憲法の第1条が「国民主権について」であるのは当然だ。新憲法に残る天皇に関する条項は下記の1項だけである。
 

第 6 条
 
1 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 
2 天皇、皇族、宮家、王族、華族、その他の貴族の制度は、これを認めない。
 
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 

なおこれは現憲法14条2項に「天皇」を追加しただけである。現憲法はかなり優秀なのだ。
 

私の天皇廃止論の理屈はこうだ。まず天皇に限らず、王という制度自体が国民主権の現代に於いては時代遅れである。そしてスペインやイギリスのように王が私有財産を持っているならまだ少々マシだが、日本の天皇は財産を完全に没収され、その収支は別として今は税金で養われている身であり、財政上の不公平にあたる。そして天皇家に生まれたというだけで職業選択の自由も、結婚の自由も、何もかも奪われてしまうのは完璧な人権問題である。
 

こんなもん、廃止するに越したことはない。日本の伝統? 日本は天皇なんぞ蔑ろにしてきた時代のほうが遥かに長いのだ。
 

変則的な紹介になるが、新1条はこうなる。
 

第1章 国家・国民
 
第 1 条
 
1 日本国は民主主義に基づく共和国である。日本国の主権は国民にあり、すべて国家の権力は主権者である国民より出ずる。民主主義的手続きによらぬ国権の行使はこれを認めない。
 
2 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 
このあたりは大韓民国憲法を参考にした。似た文化の国であり、もはや民主主義の先輩国になりつつあるのだから、参考にするに越したことはない。憲法をよりリベラルに、と思っているあなた、大韓民国憲法をちゃんと読んだことありますか? 今すぐ読みましょう。
 

大韓民国憲法(新しいウィンドウ)
 

次回は前文の話をすると思います。

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審議拒否とはなにか?


2018年4月20日現在、財務省職員が取材の女性記者に対してセクハラ発言を常習的に行っていた事に関する責任問題で、麻生太郎の辞任を求めて審議拒否に入るとの報道がありました。
 

 
例によってこれに対し、「国会をサボるな」だとか「仕事してないなら税金返せ」だとかネトウヨが騒いでいますが、案外リベラルも「審議拒否」の実態や法的根拠を知らないようです。簡単に解説すると以下のようになります。

 

日本国憲法第56条

両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き、議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

 
ここで見てわかる通り、そもそも国会は「1/3の出席者がいなければ議決できない」とされており、ここから帰納的(?)に考えれば、「議員は、採決を拒否するために申し合わせて欠席することが可能」ということになります。もちろん憲法のその他の条項に、「国会議員はやむなき場合を除いて議場には出席せねばならない」なんてものはありません。議決を遅らせるために議会をボイコットする会派(政党)が出るであろうは憲法の想定内であり、審議拒否は野党の全く合法的な闘争方法の一つです。

 
しかし現実には与党が単独で2/3以上を占めてしまっていますから、憲法理論的には与党は、野党すべてがボイコットしても議決を行うことが可能です。ここに出てくるのが、1960年代に安保をめぐる「乱闘国会」を収めるために与野党で申し合わされた「野党は議場の封鎖などの暴力行為を行わない代わりに、与党も野党が出席していない状態での決議は行わない」というルールです。民主主義は多数決ではなく、反対者・少数者の意見を聞いてこそ民主主義なので、野党のいない場所での議決は民主的正当性を保持しえませんから、与党も単独決議はできないのです。

 
さて今回の女性記者へのセクハラ問題ですが、マスコミを「第4の権力」「社会の木鐸」だと捉えるならば、内閣という権力に対して、疑問を提示し、インタビューを行い、その結果を国民に知らせるのがその使命です。その使命を果たさんとする記者を、ハラスメントを用いて撃退するということは、「公正な言論の自由あっての民主主義」という観点からすれば、当然「民主主義の破壊行為」と言えるでしょう。これを正常化させない限り国会の審議は行わない、というのは民主主義を守るためには当然な主張です。

 
そもそもで言えば、女性記者が政治家の宴会に付き合ったりして情報を得ている今のマスコミ自体が異常ではあるのですし、あのようなセクシャルハラスメントを行う人間が省庁のトップにいる事自体がおかしいのですがね。

 
さて、憲法で決められた国会の議決人数といえば、このようなものもあります。

 

日本国憲法第53条

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 

さて、昨年、要求があったのに臨時国会を開かなかった安倍晋三内閣は、明確に憲法違反を犯しているのですが、「審議拒否」に文句を言う人はなぜこちらを問題にしないのでしょうかね?

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6月8日特別編:「卵ゲップ病」ことジアルジア症とは?


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ1ドル=114円=4000リエルでした(リエルは対ドルで事実上の固定レート扱い)。
※地図と旅程はこちらを参照。

 
東南アジアや南アジアを長期、1ヶ月とか2ヶ月旅行するとたいてい1度はかかるのが、「卵ゲップ病」こと「ジアルジア症」である。これは動物の糞便や感染した人間の糞便などに混じっている「ランブル鞭毛虫」という単細胞病原菌をなんらかのルートで腹に入れてしまうとなる病気で、こちらでは非常に知られたものである。

 

ランブル鞭毛虫(Wikimedia commonsより転載、パブリックドメイン)

 
基本的には、不潔な食堂や屋台などでの食事、不潔な果物の表皮、不潔な水・氷などから感染しうる。つまり、普通に現地の庶民が食べているものを食べていれば、その場所の不潔度に応じて、確率論的にかかる病気である。

 
私自身は、確信を持ってジアルジア症だと言えるのは2回、怪しいなと思うのを含めると4回罹患している。一度目はこの病気のことを知らずに、かなりひどい状態にまでなってしまった。症状の順番は以下である。

 
①下痢……そう激しくはない。トイレに駆け込んだり、夜中に目が覚めるほどのものではない。しかし確実に下痢をし、体力が落ちていく。
 
②腹部膨満感……とにかく食欲がなくなる。あれ? 今日朝ご飯遅かったっけ? いやいや、7時に食ってるぞ、じゃあなんでもう13時なのにお腹が空かないんだ、なんだかちょっと吐き気もするし、というような不快感が起こる。
 
③ゲップ……「卵ゲップ病」の名前の通り、ゆで卵の黄身のような硫黄臭のするゲップが出るようになる。事前知識があればここで気づくことが出来る。
 
④発熱……だいたい37℃から38℃ほどの熱が出る。これは下がったり上がったりを繰り返す。
 
⑤腹痛……下痢の時点で少々の腹痛・不快感があるのだが、最終的には非常にきつい腹痛、「これが胃痙攣ってやつか?」というほどの腹痛が起こる。

 
ではどう治すか、といえば簡単で、これには特効薬がある。「ティニダゾール」という薬である。これは日本では、女性の「膣トリコモナス」の治療薬としてしか認可されておらず、処方箋も必要なために気軽に買うことは出来ない。しかし東南アジア、少なくとも私の知る限り、ベトナムとカンボジアでは殆どの薬局で安価に手に入り、飲めば(人にもよるだろうが)1時間か2時間で楽になって、一晩寝ればすっかり治る。

 
今回は昨夜の夜寝る前から下痢が始まり、朝の時点では普通の下痢だと勘違いし、薬局で下痢どめを買って7時半頃に朝食とともに飲んだのだが、10時にクラチエ発のバスに乗って、12時にメーモットの休憩所でまったくお腹が空いていないこと、腹部の膨満感に気づき、さらに車中でゲップの臭さに気づき、14時半にコンポンチャムについたらすぐに薬局を探した。1軒目は「ない」と言われたが、2軒めは「ミーン(おばさん)」と呼びかけると(外国人だ、知らん知らん)というように手を横に振られたが、「ティニダゾール!」と呼びかけてみたらすぐに「あ、ティニダゾールか」といった感じで用意してくれた。1錠500mgと書かれた箱だったので、1500mgを2回かな、たしか手持ちも2錠くらいあったし、と6錠買って3000リエル(0.75USD)。

 

飲んで1時間。そろそろ効いてくるかな?

 
今回の原因は、クラチエの北、カンピのメコン急流地区の飯屋で買った「自家製アイスミルクコーヒーをペットボトルに詰めて凍らせたもの」(昨日午後早く)か、「クラチエ市場の東の方の屋台街で食べた炭火焼きとからし菜の豚肉煮込み」(昨日夜8時頃)か、さてどれだろう……。

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6月5日:デット島からクラチエまで、ラオス-カンボジア国境移動(後編)


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ10千キープ=14.06円でした。
※地図と旅程はこちらを参照。
※ここでは主に英語と、「指差し会話帳」だのみの簡単なクメール語を喋っています。概ねここでは英語が通じました。

 

国境ゲート手前でサムローを降りる

 
30分・20kmほど走って国境手前に着いたのが9時37分。手元に100千キープと20千キープ札しかなく、運転手がお釣りがないと言い出したら面倒だなと思ったが、細かいお札をかき集めてくれてのお釣りとなった。ここからは200mほど歩いてラオス出国ポイントへと向かう(出国ポイントまで行くと警官にいちゃもんをつけられるのだろう)。ここでは、普通存在する「事前のパスポート所持確認」は行われず、そのまま入管の建物に入って行けてしまった。建物の入り口にいた男たちに、奥の方を指差して首を傾げてみると、ウンウンと頷くのみ。Departureとある窓口にパスポートを出してサイバイデーと挨拶をする。しばらくパスポートとこちらの顔を確認した後、入国管理官の言ってきた言葉は「2ドル」であった。

 
……東南アジアではよくあることとは言え、やはり口惜しい。「no money」と一言言うと、「no money is no xxxxx」と何か聞き取れないことを言う。聞き取れずとも言いたいことはわかる。30秒ほどの沈黙の後こちらが折れて、15千キープ(正規レートで1.8ドル)を渡すとパスポートにスタンプを押して返してきた。

 
立ち去りかけてから、出国カードを渡していないことに気づいて戻る。出国カードを渡すと「パスポート」と言われ、パスポートも渡すと、今になってからなにかの台帳に内容を記入している。ここの管理体制、大丈夫なのだろうか。

 

出国ゲートを出てカンボジアの入国ゲートへ(※こういうところでは普通写真禁止です)

 
また200mほど歩いた先のカンボジア側のゲートにはきちんとパスポートチェックの職員がおり、ラオスの出国スタンプと顔写真ページの確認があった。入管の建物の手前にあるVISA Officeに向かうと、制服のおじさんたちが軒先でカフェをしている。「スゥスダイ」と挨拶すると「VISA?」と聞かれ、頷くと事務机のある場所に案内されてVISA申請フォームへの記入となった。私は旅行先では1000円程度の安い万年筆を持ち歩いているのだが、いつもと同じように「美しいペンだ。日本のか? カンボジアにはそういうのないからな」と羨ましがられる。

 
書類に記入してパスポートとともに提出する。持ってきたはずのパスポート用写真がないので、「sorry, I have no photo」と告げると、「37ドルだ」と言われる。写真なしの場合に2ドル追加なのは今までも経験がある。しかしビザ代30ドルのはずなのに、5ドルも追加か。噂に聞いてはいたが、この国境では本当にビザ代が5ドル上乗せのようだ。手持ちのドルは30ドルしかなかったので、10ドル札と20ドル札を渡して、しかる後に100千キープ札を見せると、5ドル札と引き換えに100千キープを渡すことになった。咄嗟で計算できなかったが、100千キープ≒12ドルという計算のようだ。まぁ、公定レートとあまり変わらない数字でほっとする。

 
しばらく待つとビザを貼ったパスポートが返却され、「STAMP」の矢印の示す方に行くと出国審査場があった。今まで触れなかったがこの国境は非常に閑散としており、他の旅行者を見たのはここが初だった。事前にビザを用意してきて、車もチャーターしているとみえる中国人の夫婦旅行者である。単に挨拶のつもりで「ニーハオ」といったのが、中国語がわかるのかと思われてしまい、あれこれ話しかけられて困ることになってしまった。ここで入出国カードを書いてパスポートとともに提出し、数分待つと出国完了となった。ビザ代に7ドルも乗せられたのだから、ここで賄賂を要求されたらどうしようか、怒ってしまいそうだと思ったが、それは杞憂に終わる。

 

ビザと入国印

 
入国を終えたのが10時半過ぎ。島を出てから2時間ちょっとだ。さあバスでも探すか、と思うと、サングラスに髪を明るく染めた小柄な女性が「どこに行くの?」と英語で話しかけてくる。「クラティエ」というと、少し考えた後で「グロチェ?」と聞き返してきた。なるほど、そういう発音なのか。「19ドルだ」というので「高い。そんなお金はない」といいつつも彼女の案内に従って進むと、国境ゲート出口近くの商店に案内された。バスの切符になるのだろう、複写紙の台帳を持った男を紹介され、「グロチェ」と言うと、「13ドルだ」という。まぁ、そのくらいなら仕方ないか……、ええと、船が15で、サムローが60だから75千キープは何ドルだ? デット島のツアーデスクの看板にはストゥントゥレン188千(22ドル)、クラチエ238千ドン(28ドル)くらいのことが書かれていたはず、ええと、いくらならあそこより安くなるか……などと考えている隙もなく、「クラチエまで13ドル」の切符を渡されてしまい、支払ってしまうことになった。国境ではいくら冷静にゆっくりと物事を進めようとしても、なかなかうまく行かない。

 
このときドルは、国境でもらったお釣りの5ドルしか持っていなかった。この商店では両替もやっているので、手元に残った155千キープを渡して両替を頼むと18ドルになった。80セントほどの手数料となるが、5%程度ならまぁいいだろう。思わず英語ベトナム語混じりで計算をする。ついでにMetfoneのSIMカードを2ドルで、インターネット用の課金カードを1ドルで購入する。バスは14時頃出発だそうで随分時間が余ってしまう。あんなに早く出立する必要はなかったか。確かにデット島のツアー看板はどれも11時出発くらいだったな……。

 

バス会社は Che Nangというこのあたり大手のようだった

 
この商店のお母さん(美人)には2人の娘と1人の赤ちゃんがおり、娘2人はまだまだラオ語とクメール語を混同して話している私のラオ語語彙にも反応している。試しにラオ語で1から10まで数えてみるとすぐに食いついてくる。言い間違えるとお母さんがすぐに指摘をする。これは面白い、と思って、持ち歩いていた『旅の指さし会話帳』のラオ語版とクメール語版を渡してみると、二人とも食いつくように読んでいた。ラオ文字も問題なく読めるようだ。さすが商売人の子である。おねえちゃんは恋愛に関する語句のあたりを読んで大笑いしてお母さんに見せている。

 

語学に興味津々な姉妹

 
ちょうど昼時なので麺料理を頼む。メニューに「noodle soup」とあるのを、「クィティアウか?」と聞くとそうだと言うので頼んで2ドル。「マテーヘ」と唐辛子も出してもらう。ううん、ベトナム南部と同じ甘くて濃厚な味付けだ。久しぶりに出汁の聞いたものを食べて満足する。

 

クイティアウ、2ドル。

 
飯を食べ終えると、14時と聞いていたバス(ミニバン)がすぐ出発するという。客が集まらないので諦めたのだろうか。一度私だけを乗せて出発した後、一度また商店の前に戻り、大雨の降り始めた中であれこれ荷物を積み、また隣の飯屋にいた白人カップルも乗せて、12時40分ごろに再出発となった。カンボジア・ラオス国境は、通例と違って道路の右側がカンボジア、左側がラオスという場所が長く続く。どうなっているのだろうと興味があったが、実際に見てみるとラオス側は深い雑木林になっているだけだった。おそらく、ここを踏破すれば簡単に国境侵犯はできてしまうのだろう。

 
バスは大雨の中を進み、13時50分過ぎにはストゥントゥレンの街へと入っていった。バスターミナルで「乗り換えだ」と降ろされてみると、そこはこのバス会社の休憩所となっており、大量の白人観光客が飯屋でバス待ちをしていた。その中にはデット島で何度か見た顔もある。同乗してきたカップルと少し話をした後、アジア系の乗客数名が集まっていたテーブルに移動してコーラ(1ドル)と水(2000リエル)を飲む。2組のカップルのうち、派手な入れ墨をしたマレー系華人のようにみえる方はラオス行のバスに乗って去り、他の白人客もシェムリアップゆきのバスに乗って去っていった。私を含む残された数名、私、アジア系の垢抜けたカップル(後にカナダ人と知る)、白人カップル2組だけが、15時に来たプノンペン行きに乗ることになった。

 

今回の旅程には関係ないが、ここからベトナムのザライ省ゆきバスもあった

 
結局バスがクラティエの街に到着したのは17時頃だったか。運転手にクメール語で「クラティエで降りる、第10通りのあたりに行く」と言ってはいたのだが、降ろされたのは第7通り近くのバスターミナルだった。ひどい大雨のためにミニバンから降りるのにも一苦労だったので写真も取っていないが、大きな寺院の向かいである。しばらくカナダ人カップルと話した後、コントゥムで買った雨合羽をバックパック・ショルダーバッグともに守れるように着込み(あとで気づいたが、左の脇腹が裂けていた。浸水被害はなかったので脱いだ時のものだろうか)、小ぶりになるのを待って第10通りの安宿へ。最初の宿は「6ドル。ただしエアコンの部屋はない」と言われ、その向かいの中華系旅社もエアコンなし、メコン川沿いの「U-HongII guest house」にエアコン・ファン・WiFi付きシングル12ドルの部屋があったので泊まることにした。バスターミナルで別れたカナダ人カップルもこの宿の前で鉢合わせ、結局同じ階に泊まることになった。

 

 
シャワーを浴び2時間ほど休憩してから受付階に降りると、宿帳を書いて前払いをしてくれと言われる。ドルがないのでATMを教えてくれと言うが、英語の出来ないおじいさんは街の中心を指すだけである(普段の業務は英語の出来る娘さんが主にやっている)。大雨の中結局2kmほど往復して4日分の生活費+アルファの130ドルを降ろす。日本側含めて手数料5ドルほどは痛いが現金が尽きているのでしょうがない。帰りに2000リエルの大ボトルの水、2ドルの携帯電話チャージを買い、宿に戻って炒麺とビール2本で5ドル。初日で疲れているからこのくらいの贅沢はいいだろう。結局雨は夜更けまで降り続いていた。

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6月5日:デット島からクラチエまで、ラオス−カンボジア国境移動(前半)


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ10千キープ=14.06円でした。
※地図と旅程はこちらを参照。
※会話はあまり英語は使用していません。またラオ語は、「指差し会話帳」にあるような簡単なフレーズを見様見真似で喋っているだけです。

 
朝はいつもどおり5時頃には起きる。まだ一度も朝日を見ていなかったのですぐに着替えて外に。髪の毛はぼうぼうだが、帽子をかぶってしまえばどうでもいい。3分ほど歩いて、島北端の船着き場に向かう。

 

デット島北端の船着き場

 
残念ながら空は一面曇っており、朝日は拝めなかった。東南アジアではどこでも朝は早いものだが、この島はさすがにのんびりしており朝早くから活動している人は少ない。夜遅くまで観光客相手の店を開いている人が多いというのも影響しているのだろうか。通りにいるのは犬と鶏ばかりである。そういえばこの島のレンタル自転車に鍵がないことを以て、「犯罪なんかない島なんだな」という感想を述べる人がいるが、わたしは商店の軒先に監視カメラがあるのに気づいてしまった。なお東南アジアで監視カメラのことはよく「CCTV」と言われる。「中国中央電視台」のことではない。Closed Circuit TeleVisionの略で、ようはカメラのみ、あるいはカメラとモニタのみの閉じた回路の監視装置(つまり画像の流出や、別の場所からの監視などが起こらない)のことである。近年はおそらく、動くものに反応するセンサーとセットになった、動画記録式の、カメラのみタイプが多いのだと思う。

 

監視カメラ

 
宿に戻り、しばし休憩の後にシャワーを浴びて荷造りをするともう8時近い。電気のブレーカーを落として、部屋の南京錠を他の部屋のようにぶら下げたままにしてバンガローを後にする。予想通り宿の受付には誰もおらず、声をかけても人が出てくる様子はない。2,3分そこに留まったが、向かいの店のおばさんも私が出ていくのを見ているだろうからいいか、とそのまま出立した。

 
8時ともなると集落は動き始めており、商店兼両替所兼ツアーデスクのおばさんも営業を開始している。そこは無視して船着き場まで出てみる。桟橋から少々離れた場所で船を操っている若者がいるので「ナカサンまで行きたい」とラオ語で声をかけてみるが、手を横に振られるだけであった。しばらくして、下流のほうから別の若者が桟橋に小舟を寄せて来たのでそちらに声をかけると、しばらく戸惑った様子だったが恥ずかしそうに「30千だ」という。どうも島で出たビールの空き瓶を本土に戻す船のようで、荷の積み込みをやっている。便乗していいのだろうか。しかしその若者はすぐに別の中年男に声をかけ、中年男は桟橋の横につけてあるバイク用フェリーを指差して「15千だ」という。なるほど、やはり正規の船に乗れということか。WEBで他の人の旅行記を昨夜見た所、ボラれそうになっただとか、人が集まるまで船が出なかったとかの話があったが、私がラオ語をつとめて使っているのが良かったのかもしれない。中年男がお金を数える仕草をしてくるので、15千ドンを前払いする。

 
バイク用フェリーは2艘の小舟の上に板を渡した簡易的な双胴式で、バイクなら3台ほどは運搬できそうだった。すでに1台のバイクと女性2人が乗船しており、私が乗り込んでビールケースに座るとすぐの出発になった。8時半ごろのことである。

 

桟橋の杭を押して船を沖に進める

 

同乗の女性ふたり

 

朝のメコン川

 

船は細い水路をゆく 動画へのリンク

 
20分少々の乗船で船は本土側についた。バイクフェリーのため、階段で降りる旅客用の桟橋ではなく少々上流にある坂道式の専用桟橋への着岸となった。乗客とは言え少しは手伝ったほうがいいだろう。船頭にアイコンタクトを送り、桟橋の杭を掴み、片足を桟橋にかけて船を寄せる。すぐに船頭もこちらにやってきて船をもやい始めた。「サイバイデー」と挨拶をしてその場を去る。

 
初日にここに着いたときはすぐに船に乗ってしまったので気づかなかったが、やはり本土側は庶民らしい風景が広がっている。店先ではラオス特有の串焼きや、東南アジアどこにでも見られる揚げ菓子の類が安価で売られていた。サトウキビジュースを作る機械はベトナムのもので、ちょっとうれしくなる。

 

ベトナム語が書かれている

 
桟橋近くにいたサムロー(バイクの横にサイドカーのように屋根付き荷台を取り付けた三輪タクシー)に「ボーダー、カンボジア」と声をかけてみたが、同僚と顔を見合わせて、「市場の方にいけ」というようなことを言われる。たしかにガイドブックのロンリープラネットにも、サムローのチャーターは岸壁から500mほど離れた市場兼バスターミナルで、と書いてあった。果たして500mほど歩き市場につくと、初日に乗ってきたものと同じようなソンテウに人がぎっしり乗ったのに行き会う。「どこ行きですか?」と尋ねると「パクセー!」とのこと。逆に「どこに行く?」というようなことを尋ねられたので、また「ボーダー、カンボジア」と言うと、近くにいたサムロー乗りが「俺が乗せていくよ」というようなことを言う。「いくらですか?」と聞くと、噂に聞いたとおり「100千」とふっかけてくるが、悪気のある顔には見えない。「高い!」というとすぐに「50……いや、60」という。「50?」と聞き返すと「50だ」と人の良さそうな顔で言う。

 
サムローの荷台にはたくさんの荷物が乗っており、これと同乗かと思ったがさにあらず、この荷はすべてパクセーゆきのソンテウに積まれていった。荷が空になると、「乗れ乗れ」と合図をしてくる。今日はまだ何も食べていなかったので、飯を食うよ、という仕草をするとウンウンと頷く。どのくらい待たせていいかわからなかったので、テイクアウトできるバゲットサンド(カオチーパッテエ)の屋台のおばさんを見つけて値段を聞くと「5千だ」という。10千出すと「2個買って」と笑う。「1個!」といって5千のお釣りをもらう。

 
カオチーパッテエを齧りながらサムローに乗り込む。運転手に「50?」と改めて聞くと、バイクのガソリンタンクを指差して、困った顔で「60」という。いいだろう、今日は気分がいい。「60ね、オッケー」と言うとすぐに走り始めた。

 
このサムローには2年前にも乗ったことがあるが、全身に風を受けて進む爽快感はかなりのものである。速度があるぶん、ベトナムのシクロよりも気持ちがいい。国道13号線に出るためにガタガタの道を少々進むと、先方からやってくる大きめの白いバスがある。観光ツアーバスかと思ったが、通りすがりに見えた文字は「LAOS-CAMBODIA」というものだった。なるほど、これがロンプラにも書かれていたソリヤ・プノンペンの定期バスだろう。ロンプラの書き方では「国道13号線で捕まえることの出来るバス」かのような印象だったが、きちんとナカサンのバスターミナルに停まるのだろう(※ナカサンのバスターミナル・船着き場は13号線から3.5kmほど横道に入ったところにある)。時計を見ると9時5分。おそらくナカサン発は9時半であろう。サムローの交渉が面倒だとか、危険そうだとか思うのならこのバスに乗るのもありだと思う。

 

爽快なサムローでの移動 動画へのリンク

 
後半に続く。

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5月31日:コントゥムからゴクホイ、国境を超えてアッタプーまでの情報


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ10千ドン=49.5円でした。
※地図と旅程はこちらを参照。
※会話はベトナム語で行われています。この周辺で英語は通じません。
 

情報だけまとめ:
コントゥムの国道14号線(QL14)からゴクホイ県プレイカン(Plei Cần, Ngọc Hồi)まで公営バス25千ドン1時間、国道40号(QL40)と国道14号の交差点で13時半ごろにダクハ発アッタプーゆき国境超えバスを捕まえる。運賃100千ドンで18時頃アッタプー着。

 
前日の晩に食事から帰ってくると、ホテルの受付に、昨日ラオスまでのバスを頼んだ娘さんが勤務している。「明日のバスは何時?」と尋ねると、申し訳無さそうに筆談付きで「バスは見つからなかった、グエンフエ通りのバスターミナルに行って、ゴクホイまでバスで行って、そこからボーイ国境に行けばいい」と伝えてくる。まぁ仕方ないか。十分旅慣れた私がベトナム語で検索して見つからなかったバスだ。ホテルの受付係とは言えバイト風の彼女に見つけ出せなくてもおかしくはない。また、安請け合いをした挙句にそれを仕損じても聞かれるまで黙っているのはベトナム人にはよくあることだ。「ゴクホイ行きは1日何本あるの?」と聞くと「7時から、1時間に1本ある」という。


 
朝は7時には起きたのだが、先に食事をすませる気にもなれず、荷造りやシャワーなどをしているうちに10時になってしまった。チェックアウトしようとすると昨日の娘さんが部屋を見に行こうとするので、「水を1本飲んだよ」と声をかけると、登りかけの階段を降りてきて精算となった。170千ドンを4日と、水を1本で687千ドン。

 

cơm sườn 25kđ

 
グエンフエ通りのバスターミナルからのバスはホテルの前の道(QL14:国道14号線)を通るだろうと推測をつけて、ただし車線が逆なのでまずは道を渡り、例の海南鶏飯の店で朝食。今日は cơm sườn(豚アバラ飯)25千ドンに、塩分補給の塩ライムジュースをつける。いつもの兄ちゃんが私が大荷物を持っているのを見て「どこへ行くんだ」と聞いてくるので「ラオだ」と答える。「ラオゆきのバスはこの前を通るのか?」と聞けば、「通る通る」という。会計を済ませて店の前でバスをまとうとすると、その矢先にゴクホイ行きのバスが、呼び止める余裕もないまま目の前を通過していってしまった。

 

飯屋の前で

 
兄ちゃんが椅子を出してきてくれたので、パラソルの日陰で座って待つことにする。兄ちゃんは「ラオゆきはミニバンだけだ」という。確かに走っていく大型バスはハノイ行きだの、タイビン行きだの、はてはカオバン行きだのと北部の諸都市に向かうものばかりだ。しかし結局、ラオスに行くバスを見ることがないまま1時間経ってしまい、11時20分ごろになると次のゴクホイ行きのバスが来てしまった。これに乗ると決め「ゴクホイ!!」と呼び止める。バスは止まってはくれたものの、2車線道路の中央側を走っていたため路肩には寄せられず、こちらからバイクの間を縫ってバスに駆け寄る。微速前進中のバスの後部ドアになんとか飛び乗り、折りたたまれたドアに背中を預けるとまたすぐに走り始めた。後ろを振り返り、飯屋の兄ちゃんに手を降る。運賃は25千ドン。まぁ半公営のこの手のバスならこんなもんだ。

 

1時間ほど走って25千ドン

 
1時間ほど走る。うとうとと居眠りをしていると、googlemapで Ngọc Hồiで検索してピンが刺さった場所の随分手前の、プレイカンという街の、国道40号と14号の交差点近くの公園でバスが停車する。乗客はみんな降りてゆき、運転手が「ゴクホイだ、終点だよ」というのに促されて降りる。居眠りしていたのでなんだかフラフラだ。ふらふらのまま客引きのバイクタクシーを断ると、「酒飲んでるのか?」と笑われた。そのまま公園の茂みで立ち小便を済ませる。

 

「247」は「24時間7曜日」の意だろう。

 
調べてみるとゴクホイは県名で、その県庁所在地がこのプレイカンとのことだった(※ベトナムでは、省の下に県か市か町があるという構造になっている。県はいわば日本の「郡」にあたる)。地図を見ると今来たルートの1kmほど手前にゴクホイバスターミナルがあるようだ。そのまま真っすぐ行くとラオス方面、右折すると北上してダナン方面。バスターミナルからのバスも、そうでないバスもラオ行きはこの交差点を通ることになるので、交差点手前にあったカフェに入る。カフェスアダー1杯10千ドンで粘るが、30分、40分と経っても、くるバスくるバスすべて北部行きだ。眠気覚ましも兼ねて、更に炭酸コーヒー飲料「247」を注文する。半分ほど飲み終えたあたり、13時半ごろに南からやってきた白いバスを単眼鏡で除くと大きく「LÀO」との表示がある。「ラオ!」と叫んで店を飛び出して手を降ると近くで停車してくれた。

 

バスは30人乗り程度の小型のものだった

 
バスに乗る際に案内表示を見ると、「Đăk Hà < --> Attapeu 140.000đ」との表示があった。調べてみるとĐăk Hà:ダクハはコントゥムの少々北西にある街だった。コントゥムで待っていたらこのバスには乗れなかっただろう。運賃を聞くと、ここからなら100千ドンだという。値段的にもゴクホイまで半公営バスで出たほうが得だったようだ。

 
ゴクホイから国境のボーイまではほんの20kmの旅程。すぐに国境近くに到着する。まずはベトナム側のパスポートチェックから。バスを降りる際、運転手に「外国人だけど、大きな荷物は持って行かないでいい?」と確認すると、「大丈夫だ」というのでそのままにする。越ラ国境はかなり緩いので、税関も保安検査もそう厳しくはない。続いて国境の出国窓口へ。みんながパスポートに20千ドンを挟んでいるので、同じバスで隣だった男に「賄賂か?」と聞くと「そうだ」と苦笑い。出国の列が詰まっていたので先に公共の両替所へいってレートを確認すると、1000千ドンが370千キープだという。手元のスマホで確認すると公定レートは367千ほどで、公定レートよりもいいというすばらしさ。本来ここで必要なだけ両替しておけばよかったのだが、ついつい「ラオス東部ではドンの地位は高いから、あとでどうでもなる」と思ってしまい、両替は1000千ドンだけにしてしまった。

 

本来こういう場所では撮影は行わないほうがいいでしょう

 
出国はパスポートとEビザの証書を出すと問題なく済んだ。ラオスの方を指差して「ビザはないのか」と聞かれたので「日本人は2週間免除だよ」と言うと、「知っとるわい」というような顔で出国スタンプを押してくれた。すぐにラオスのSIM売りが来たので、Unitelの40千キープのSIMと20千ドンのチャージカードを買う。UnitelのこのSIMは200MBの無料3G通信がついていた。パッケージには「4G」の文字もあったが、結局4gでは一度も繋がらなかった。設定は、適当なAPNを設定してAPN名に internetと入れるだけだ。いちおう私が使っているベトナムのViettelの回線も、ラオス・カンボジアならベトナム国内と同額でデータローミングが使えるのだが、30日2GBのようなコース契約はつかえずに従量制だろうと思い、普通にSIMを買うことにした。

 

SIMには初期で200MBのデータ通信がついていた。

 
次にラオスの入国。こちらも幾人かは賄賂をパスポートに挟んでいたので、また20千ドンを挟もうとすると、隣席の男から「ラオには要らん」と強く言われる(ベトナム人は周辺民族に対する小中華意識が強い)。パスポートを出すと、すっかり忘れていた出入国カードに記入させられて再度審査となった。審査官は新人のようで何かするたびに先輩に確認を取っており、滞在期限も指折り確認していた。入国を済ませると果物売りのおばさんが営業してきたので、すもも500gを20千キープで購入。なお、入国カードの「ラオスでの滞在先」は適当に「Sawaddi guest house at Pakse」(そんな宿が本当にあるかは知らない)と記入し、電話番号は無記入、「入国場所」はラオス側の地名 Phoukeuaがわからなかったので記入しなかった。以前にカンボジアにプノンデンから入国した時は、入国場所を無記入で出したら「プノンデンだ!」と怒られたことがあるが。

 

ラオスはビザ無しで15日間(入国日含めず2週間)滞在可能。

 
最後にラオスのチェックポイントでパスポートの入国印を確認すると終了。スムースに行ったため、30分もかからなかっただろう。再び車中の人となり、SIMの交換などを行う。ラオスの道路は相変わらずあちこちに軍だの警察だののチェックポイントがあって、そのたびに運転手が賄賂を渡したり、何分も時間を取られたりする。ラオスの物価高の大きな理由の一つに、国内に工業生産力が全くなく、缶ジュース1個、歯ブラシ1本、袋麺ひとつですら中国・ベトナム・タイからの輸入だからというのもあるのだが、その輸入品は大規模トラック輸送などが存在しないため、主にこうした旅客バスで運ばれている。そこに賄賂代の上乗せまでされていてあの物価なのだろう。

 

このあたりはベトナム語の看板ばかりで、ベトナム語も普通に通用する。

 
バスは日没前、18時頃に街の入り口にある橋を渡り、ベトナム系のたまり場になっている Nhà nghỉ Đức Lộc 1(第1ドクロク旅館)の前で停車。ここで全員が降りる。多くの乗客は北側の路地に入っていった。その先に安い旅館でもあるのだろう。このドクロクからはベトナム行きのバスも出ており、一昨年前にはここから10時発のバスで10時間近くかけてバンメトートまでいったものである。ドクロクで宿代を尋ねると、エアコン付きは100千キープだという。明らかに予算オーバーなので「よそを見てくる」といい交差点に出ると、ドクロクの東向かいの Thanh Ngaのオバさんが客引きをしてきた。エアコン付きで80千キープだという。ドンにすれば220千ドンほどのため、なんとか普段の予算並みだ。部屋もそう悪くはないので1泊することに決める。

 

ベトナムドンに換算すると悲しくなるので、USドルで考えることにしよう。

 
夕食は女将のすすめるままに近くの食堂で。最初に皿飯の値段を聞いたときに、ベトナム南部語で「20千(hai chục)」と言われて「安い」と思ってしまったが、当然これはラオスキープ払いなので、実際は3.7倍の74千ドン(3.3USD)である。ビールもつけて、30千キープ(4.1ドル)になってしまった。物価はものによるが、ベトナムの1.5倍~3.5倍程度である。会計を頼むと、このときはベトナム語でなくラオ語で「サームスィップパン」という。なんだか、こうやって騙してるんじゃないだろうな、という気持ちになってしまった。

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