プノンペンのベトナム大使館


※このときのレートは、1ドル=113円=23千ドン=4070リエル程度です
※地図と旅程はこちらを参照。

 
プノンペン市内国道1号線、ベトナム大使館の前でバスを降りたのが12時50分ごろ。ホーチミン市タンビン区のサパコツーリスト車両基地を出ておよそ6時間である。ホーチミン市中心街からはやはり7時間弱という感じであろう。

 
ベトナム大使館のビザオフィスは正門を少し南に戻ったところにあった。案内の看板が出ているおりわかりやすい。若い女性、中国のパスポートを持った老婦人、いかにもな感じの初老のフランス人バックパッカーと待つこと15分ほど、13時5分過ぎに門が開く。ビザ料金は3ヶ月シングルの24時間後発行で70ドル。事前に調べていたより10ドル高い値段であった。48時間後受取なら10ドル安いのだが、木曜日申請・日曜日帰国のためそういうわけにもいかない。

 
申請用紙にあれこれ記入して提出すると、受付の若い女性は私のベトナム語を見てニヤニヤと笑う。言葉を交わすとさらにニヤニヤ。これはいつもそうなのだが、私のベトナム語はまだまだ稚拙なので、25歳から35歳くらいの女性の母性本能をいたくくすぐるらしい。その場で70ドルを払ってパスポートを預けると、「11月2日15時受取り」と書かれた引換券を渡される。いまから24時間パスポートが手元にないわけだから、パスポートとカンボジアビザのコピーは必ず事前に取っておくべきである。

 
 

プノンペンに来るのは実は6年ぶり2度目である(カンボジア自体は6度目)。前回はまだUBERもGRABもなく、いやそれどころかスマホもまだ普及し始めたばかりだったので、外国人観光客が市内を移動するには、徒歩か、バイクで客車を牽くタイプの独特なツクツク(トゥクトゥクという人もいるが、私はツクツクのほうが音があっていると思う)の1日借り切りしかなかった(都度借りは非常な無駄遣いになるため)。しかし6年の歳月はプノンペン市内の交通を大きく変貌させており、「Grab TukTuk」の名前で、スマホで簡単に小型の3輪タクシーを呼べるようになっていた。

 
 

Grabアプリ自体はベトナムで使っているものがそのまま使える。呼ぶ車両の選択肢に「TukTuk」を始めとしたいくつかが増え、ベトナムでチャージしたお金は使えない、というくらいしか違いはない。ベトナム大使館前から予約したホテルまでを選択すると、距離は5.5km程で料金は8200リエル。予約ボタンを押してほんの数分で運転手が到着し、名前と車両ナンバーを確認の上乗り込む。

 
 

乗り心地も悪くないし、バイクほどではないが小回りも効くようだ。なにより小さくて可愛らしいのがいい。

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プノンペンまでビザを買いに行った


※このときのレートは、1ドル=113円=23千ドン=4070リエル程度です
※地図と旅程はこちらを参照。

 
奥様(※女性尊重のためわざとこの語を使っています)との結婚手続きが思ったより時間を食ってしまい、ベトナムの「配偶者むけ免ビザ制度」の手続きが可能になる前に現在のビザが切れてしまう事になった。このビザは昨年、とある友人に手を回してもらって、ある筋から招聘状450ドル・国境での手数料150ドルで手に入れた1年マルチのビジネスビザである。今回もまた別の筋に……と思っていたのだが、当たりをつけてもらった人の回答では1年のビジネスビザは発給が止まっているとのこと。3ヶ月シングルのビジネスなら240ドル+75ドル、6ヶ月シングルか3ヶ月マルチなら480ドル+150ドルでできるが、と言われたが、随分高い気がする。

 
結婚手続きがこれ以上伸びることはないとの確証を得ているし、この1年で、ベトナムで暮らすにはビザが観光なのかビジネスなのかはほぼどうでもいいと解っている。であれば、ということで週末を使って3泊4日でプノンペンのベトナム大使館まで観光ビザ3ヶ月シングルを取りに行くことに決めた。カンボジアのビザは2年マルチを取得済み、在プノンペンベトナム大使館でのビザ代は70ドル程度、往復のバス代は高級車でも30ドル程度、宿泊は1泊15ドルとして45ドル。旅費全てを入れてお土産を買っても240ドル以内だろう。観光もできて、とある筋に頼むより安い。
 
 

今回、バス会社は家の近くに車両基地をもつサパコツーリストを使うことにした。車両は一般のバスではなく、マッサージ座席仕様の9席リムジンバスである。値段は片道340千ドンと高いが、その快適さは如何ほどのものか確認も兼ねて乗ってみることにした。予約はネットでOK。朝6時半出発である。
 
 

バスは予定通り6時半に来たが……。これは「6時のだ」とのことだった。「1席空いているがこれに乗るか?」と聞かれたが、独立シートでなかったら嫌なので断る。15分ほど待つと予約していた6時30分の便がやってきたので乗り込む。ペットボトルの水2本が支給されてすぐ出発となった。今回、運転席の後ろの後ろを予約したのだが、もう一つ前の並びのほうが足元がゆったりしていたようだ。

 
バスは12区に入ったあたりで一度止まって、ここから乗り込む最後の予約客を待つために20分ほどロス。ベトナムでは普通のことである。結局乗客は、私の前に南アジア系の恰幅のいい男性、その隣にベトナム女性、私、私の隣に遅参者のベトナム男性、後ろのロングシートには欧米人の若いカップルであった。

 
ホーチミン市から一番近いカンボジア国境は、市の中心部から70kmほどで、ベトナム側がモクバイ、カンボジア側がバヴェットという街になっている。私は以前に、ローカルバス+徒歩で1度、バイクで1度来ているが、国際バスでの通過は初めてである。遅参者を乗せてからはバスは順調に進み、9時前には見覚えのある国境ゲートへとたどり着いた。

 
ここで運転手とその助手に全員パスポートを預けてベトナム側の出国。入管職員による面通し等は一切なしでの出国となった。車に乗り直しカンボジア側ゲートにつくと、また全員分のパスポートは運転手が預かり、入国ゲート前で待機。この間に Metfoneの2ドルのSIMと、同じ額のチャージカードを購入する。SIMにはベトナム語で簡単な使用法を書いた紙がついていた。ベトナム語のできない人は事前に使用法を調べておいたほうがいいだろう。

 
30分ほどすると、入管ゲート前に運転手が現れて私の名前を呼んできた。パスポートを受け取ると、すでに入国手続きは完了している。なるほど、これが国際バスの力か。以前に徒歩やバイクで来たときははちゃんと入管職員による人相確認があったのだが。無人の入管ゲートを建前だけくぐり抜けての入国となった。欧米人カップルはビザに問題があったようで、一旦ここで置いてけぼりとなっていた。

 
 

国境を抜けたバベットの街で早めの昼食となった。ベトナム系の店である。軽くバインミーティッで済ませようかと思ったが、バインミーカリー(カレーとパンのセット)しかないというのでそれを頂く。ベトナムではカレーはパンか麺で頂くものと決まっている。国境だけに値段は高く、50千ドンもした。「2ドルでいいか」と聞いたら「2ドルと半分だ」と言われる。公式なレートでは、2ドルは46千ドン、2ドル半は59千ドンだ。この店ではベトナムドンのほうが米ドルより価値が高いようだ。ドルもドンも細かいのがなかったので、1ドルと5500リエル出して「ちょっと安くしてくれ」と言ったら(本来、2ドル半なら1ドルと6000リエルである)、ニコリと笑って受け取っていった。1/8ドル(500リエル)値切ったのか、5千ドン余計に払ったのか、よくわからない計算である。

 
バスに戻ると欧米人カップルが戻ってきていた。彼らは見慣れぬアライバルビザのようなものを持っていたので、それが噂に聞くインチキ業者の偽ビザだったのかもしれない。カンボジアビザは金さえ払えば国境で必ず取れるので、ネットで売っているビザには絶対に手を出してはいけない。

 
 

カンボジアに入ると道はいきなり悪くなる。しかしこの長閑さも旅の醍醐味だ。途中1度休憩を挟んで(肉まんとアイスを食べた)、車はネークロァン橋を渡りプノンペン市内に。時間は13時ちょっと前。終点まで乗るかどうか少し悩んだが、運転手に「anh tái xe ơi, làm ơn cho tôi ghé Đại sứ quán Việt Nam nha」(運転手さん、ベトナム大使館で降ろしてくださいね)と声をかけると、「OK,OK」と手前で降ろしてくれた。

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憲法を作ろう(シリーズその1・天皇)


4千キロほど離れた「あの国」にもはや未練はないのだが、やはり「反自民・半安倍、かつリベラル改憲派」の立場としては、憲法草案のひとつくらいは書いておくのが責務というものだろうと思い、かれこれ4ヶ月ほどかけて憲法草案を書いてみた。以下がその改憲案である。
 
新憲法案PDF(新しいウィンドウ)
 

これから何度かにわたって、この憲法草案について書いてみようと思う。
 

第一回はやはり、旧憲法の第1条である「天皇」だろう。私は天皇制反対派なので、当然ながら新1条は天皇制についてではない。民主憲法の第1条が「国民主権について」であるのは当然だ。新憲法に残る天皇に関する条項は下記の1項だけである。
 

第 6 条
 
1 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 
2 天皇、皇族、宮家、王族、華族、その他の貴族の制度は、これを認めない。
 
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 

なおこれは現憲法14条2項に「天皇」を追加しただけである。現憲法はかなり優秀なのだ。
 

私の天皇廃止論の理屈はこうだ。まず天皇に限らず、王という制度自体が国民主権の現代に於いては時代遅れである。そしてスペインやイギリスのように王が私有財産を持っているならまだ少々マシだが、日本の天皇は財産を完全に没収され、その収支は別として今は税金で養われている身であり、財政上の不公平にあたる。そして天皇家に生まれたというだけで職業選択の自由も、結婚の自由も、何もかも奪われてしまうのは完璧な人権問題である。
 

こんなもん、廃止するに越したことはない。日本の伝統? 日本は天皇なんぞ蔑ろにしてきた時代のほうが遥かに長いのだ。
 

変則的な紹介になるが、新1条はこうなる。
 

第1章 国家・国民
 
第 1 条
 
1 日本国は民主主義に基づく共和国である。日本国の主権は国民にあり、すべて国家の権力は主権者である国民より出ずる。民主主義的手続きによらぬ国権の行使はこれを認めない。
 
2 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 
このあたりは大韓民国憲法を参考にした。似た文化の国であり、もはや民主主義の先輩国になりつつあるのだから、参考にするに越したことはない。憲法をよりリベラルに、と思っているあなた、大韓民国憲法をちゃんと読んだことありますか? 今すぐ読みましょう。
 

大韓民国憲法(新しいウィンドウ)
 

次回は前文の話をすると思います。

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審議拒否とはなにか?


2018年4月20日現在、財務省職員が取材の女性記者に対してセクハラ発言を常習的に行っていた事に関する責任問題で、麻生太郎の辞任を求めて審議拒否に入るとの報道がありました。
 

 
例によってこれに対し、「国会をサボるな」だとか「仕事してないなら税金返せ」だとかネトウヨが騒いでいますが、案外リベラルも「審議拒否」の実態や法的根拠を知らないようです。簡単に解説すると以下のようになります。

 

日本国憲法第56条

両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き、議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

 
ここで見てわかる通り、そもそも国会は「1/3の出席者がいなければ議決できない」とされており、ここから帰納的(?)に考えれば、「議員は、採決を拒否するために申し合わせて欠席することが可能」ということになります。もちろん憲法のその他の条項に、「国会議員はやむなき場合を除いて議場には出席せねばならない」なんてものはありません。議決を遅らせるために議会をボイコットする会派(政党)が出るであろうは憲法の想定内であり、審議拒否は野党の全く合法的な闘争方法の一つです。

 
しかし現実には与党が単独で2/3以上を占めてしまっていますから、憲法理論的には与党は、野党すべてがボイコットしても議決を行うことが可能です。ここに出てくるのが、1960年代に安保をめぐる「乱闘国会」を収めるために与野党で申し合わされた「野党は議場の封鎖などの暴力行為を行わない代わりに、与党も野党が出席していない状態での決議は行わない」というルールです。民主主義は多数決ではなく、反対者・少数者の意見を聞いてこそ民主主義なので、野党のいない場所での議決は民主的正当性を保持しえませんから、与党も単独決議はできないのです。

 
さて今回の女性記者へのセクハラ問題ですが、マスコミを「第4の権力」「社会の木鐸」だと捉えるならば、内閣という権力に対して、疑問を提示し、インタビューを行い、その結果を国民に知らせるのがその使命です。その使命を果たさんとする記者を、ハラスメントを用いて撃退するということは、「公正な言論の自由あっての民主主義」という観点からすれば、当然「民主主義の破壊行為」と言えるでしょう。これを正常化させない限り国会の審議は行わない、というのは民主主義を守るためには当然な主張です。

 
そもそもで言えば、女性記者が政治家の宴会に付き合ったりして情報を得ている今のマスコミ自体が異常ではあるのですし、あのようなセクシャルハラスメントを行う人間が省庁のトップにいる事自体がおかしいのですがね。

 
さて、憲法で決められた国会の議決人数といえば、このようなものもあります。

 

日本国憲法第53条

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 

さて、昨年、要求があったのに臨時国会を開かなかった安倍晋三内閣は、明確に憲法違反を犯しているのですが、「審議拒否」に文句を言う人はなぜこちらを問題にしないのでしょうかね?

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6月8日特別編:「卵ゲップ病」ことジアルジア症とは?


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ1ドル=114円=4000リエルでした(リエルは対ドルで事実上の固定レート扱い)。
※地図と旅程はこちらを参照。

 
東南アジアや南アジアを長期、1ヶ月とか2ヶ月旅行するとたいてい1度はかかるのが、「卵ゲップ病」こと「ジアルジア症」である。これは動物の糞便や感染した人間の糞便などに混じっている「ランブル鞭毛虫」という単細胞病原菌をなんらかのルートで腹に入れてしまうとなる病気で、こちらでは非常に知られたものである。

 

ランブル鞭毛虫(Wikimedia commonsより転載、パブリックドメイン)

 
基本的には、不潔な食堂や屋台などでの食事、不潔な果物の表皮、不潔な水・氷などから感染しうる。つまり、普通に現地の庶民が食べているものを食べていれば、その場所の不潔度に応じて、確率論的にかかる病気である。

 
私自身は、確信を持ってジアルジア症だと言えるのは2回、怪しいなと思うのを含めると4回罹患している。一度目はこの病気のことを知らずに、かなりひどい状態にまでなってしまった。症状の順番は以下である。

 
①下痢……そう激しくはない。トイレに駆け込んだり、夜中に目が覚めるほどのものではない。しかし確実に下痢をし、体力が落ちていく。
 
②腹部膨満感……とにかく食欲がなくなる。あれ? 今日朝ご飯遅かったっけ? いやいや、7時に食ってるぞ、じゃあなんでもう13時なのにお腹が空かないんだ、なんだかちょっと吐き気もするし、というような不快感が起こる。
 
③ゲップ……「卵ゲップ病」の名前の通り、ゆで卵の黄身のような硫黄臭のするゲップが出るようになる。事前知識があればここで気づくことが出来る。
 
④発熱……だいたい37℃から38℃ほどの熱が出る。これは下がったり上がったりを繰り返す。
 
⑤腹痛……下痢の時点で少々の腹痛・不快感があるのだが、最終的には非常にきつい腹痛、「これが胃痙攣ってやつか?」というほどの腹痛が起こる。

 
ではどう治すか、といえば簡単で、これには特効薬がある。「ティニダゾール」という薬である。これは日本では、女性の「膣トリコモナス」の治療薬としてしか認可されておらず、処方箋も必要なために気軽に買うことは出来ない。しかし東南アジア、少なくとも私の知る限り、ベトナムとカンボジアでは殆どの薬局で安価に手に入り、飲めば(人にもよるだろうが)1時間か2時間で楽になって、一晩寝ればすっかり治る。

 
今回は昨夜の夜寝る前から下痢が始まり、朝の時点では普通の下痢だと勘違いし、薬局で下痢どめを買って7時半頃に朝食とともに飲んだのだが、10時にクラチエ発のバスに乗って、12時にメーモットの休憩所でまったくお腹が空いていないこと、腹部の膨満感に気づき、さらに車中でゲップの臭さに気づき、14時半にコンポンチャムについたらすぐに薬局を探した。1軒目は「ない」と言われたが、2軒めは「ミーン(おばさん)」と呼びかけると(外国人だ、知らん知らん)というように手を横に振られたが、「ティニダゾール!」と呼びかけてみたらすぐに「あ、ティニダゾールか」といった感じで用意してくれた。1錠500mgと書かれた箱だったので、1500mgを2回かな、たしか手持ちも2錠くらいあったし、と6錠買って3000リエル(0.75USD)。

 

飲んで1時間。そろそろ効いてくるかな?

 
今回の原因は、クラチエの北、カンピのメコン急流地区の飯屋で買った「自家製アイスミルクコーヒーをペットボトルに詰めて凍らせたもの」(昨日午後早く)か、「クラチエ市場の東の方の屋台街で食べた炭火焼きとからし菜の豚肉煮込み」(昨日夜8時頃)か、さてどれだろう……。

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6月5日:デット島からクラチエまで、ラオス-カンボジア国境移動(後編)


※この時所持していた通貨のレートはおおよそ10千キープ=14.06円でした。
※地図と旅程はこちらを参照。
※ここでは主に英語と、「指差し会話帳」だのみの簡単なクメール語を喋っています。概ねここでは英語が通じました。

 

国境ゲート手前でサムローを降りる

 
30分・20kmほど走って国境手前に着いたのが9時37分。手元に100千キープと20千キープ札しかなく、運転手がお釣りがないと言い出したら面倒だなと思ったが、細かいお札をかき集めてくれてのお釣りとなった。ここからは200mほど歩いてラオス出国ポイントへと向かう(出国ポイントまで行くと警官にいちゃもんをつけられるのだろう)。ここでは、普通存在する「事前のパスポート所持確認」は行われず、そのまま入管の建物に入って行けてしまった。建物の入り口にいた男たちに、奥の方を指差して首を傾げてみると、ウンウンと頷くのみ。Departureとある窓口にパスポートを出してサイバイデーと挨拶をする。しばらくパスポートとこちらの顔を確認した後、入国管理官の言ってきた言葉は「2ドル」であった。

 
……東南アジアではよくあることとは言え、やはり口惜しい。「no money」と一言言うと、「no money is no xxxxx」と何か聞き取れないことを言う。聞き取れずとも言いたいことはわかる。30秒ほどの沈黙の後こちらが折れて、15千キープ(正規レートで1.8ドル)を渡すとパスポートにスタンプを押して返してきた。

 
立ち去りかけてから、出国カードを渡していないことに気づいて戻る。出国カードを渡すと「パスポート」と言われ、パスポートも渡すと、今になってからなにかの台帳に内容を記入している。ここの管理体制、大丈夫なのだろうか。

 

出国ゲートを出てカンボジアの入国ゲートへ(※こういうところでは普通写真禁止です)

 
また200mほど歩いた先のカンボジア側のゲートにはきちんとパスポートチェックの職員がおり、ラオスの出国スタンプと顔写真ページの確認があった。入管の建物の手前にあるVISA Officeに向かうと、制服のおじさんたちが軒先でカフェをしている。「スゥスダイ」と挨拶すると「VISA?」と聞かれ、頷くと事務机のある場所に案内されてVISA申請フォームへの記入となった。私は旅行先では1000円程度の安い万年筆を持ち歩いているのだが、いつもと同じように「美しいペンだ。日本のか? カンボジアにはそういうのないからな」と羨ましがられる。

 
書類に記入してパスポートとともに提出する。持ってきたはずのパスポート用写真がないので、「sorry, I have no photo」と告げると、「37ドルだ」と言われる。写真なしの場合に2ドル追加なのは今までも経験がある。しかしビザ代30ドルのはずなのに、5ドルも追加か。噂に聞いてはいたが、この国境では本当にビザ代が5ドル上乗せのようだ。手持ちのドルは30ドルしかなかったので、10ドル札と20ドル札を渡して、しかる後に100千キープ札を見せると、5ドル札と引き換えに100千キープを渡すことになった。咄嗟で計算できなかったが、100千キープ≒12ドルという計算のようだ。まぁ、公定レートとあまり変わらない数字でほっとする。

 
しばらく待つとビザを貼ったパスポートが返却され、「STAMP」の矢印の示す方に行くと出国審査場があった。今まで触れなかったがこの国境は非常に閑散としており、他の旅行者を見たのはここが初だった。事前にビザを用意してきて、車もチャーターしているとみえる中国人の夫婦旅行者である。単に挨拶のつもりで「ニーハオ」といったのが、中国語がわかるのかと思われてしまい、あれこれ話しかけられて困ることになってしまった。ここで入出国カードを書いてパスポートとともに提出し、数分待つと出国完了となった。ビザ代に7ドルも乗せられたのだから、ここで賄賂を要求されたらどうしようか、怒ってしまいそうだと思ったが、それは杞憂に終わる。

 

ビザと入国印

 
入国を終えたのが10時半過ぎ。島を出てから2時間ちょっとだ。さあバスでも探すか、と思うと、サングラスに髪を明るく染めた小柄な女性が「どこに行くの?」と英語で話しかけてくる。「クラティエ」というと、少し考えた後で「グロチェ?」と聞き返してきた。なるほど、そういう発音なのか。「19ドルだ」というので「高い。そんなお金はない」といいつつも彼女の案内に従って進むと、国境ゲート出口近くの商店に案内された。バスの切符になるのだろう、複写紙の台帳を持った男を紹介され、「グロチェ」と言うと、「13ドルだ」という。まぁ、そのくらいなら仕方ないか……、ええと、船が15で、サムローが60だから75千キープは何ドルだ? デット島のツアーデスクの看板にはストゥントゥレン188千(22ドル)、クラチエ238千ドン(28ドル)くらいのことが書かれていたはず、ええと、いくらならあそこより安くなるか……などと考えている隙もなく、「クラチエまで13ドル」の切符を渡されてしまい、支払ってしまうことになった。国境ではいくら冷静にゆっくりと物事を進めようとしても、なかなかうまく行かない。

 
このときドルは、国境でもらったお釣りの5ドルしか持っていなかった。この商店では両替もやっているので、手元に残った155千キープを渡して両替を頼むと18ドルになった。80セントほどの手数料となるが、5%程度ならまぁいいだろう。思わず英語ベトナム語混じりで計算をする。ついでにMetfoneのSIMカードを2ドルで、インターネット用の課金カードを1ドルで購入する。バスは14時頃出発だそうで随分時間が余ってしまう。あんなに早く出立する必要はなかったか。確かにデット島のツアー看板はどれも11時出発くらいだったな……。

 

バス会社は Che Nangというこのあたり大手のようだった

 
この商店のお母さん(美人)には2人の娘と1人の赤ちゃんがおり、娘2人はまだまだラオ語とクメール語を混同して話している私のラオ語語彙にも反応している。試しにラオ語で1から10まで数えてみるとすぐに食いついてくる。言い間違えるとお母さんがすぐに指摘をする。これは面白い、と思って、持ち歩いていた『旅の指さし会話帳』のラオ語版とクメール語版を渡してみると、二人とも食いつくように読んでいた。ラオ文字も問題なく読めるようだ。さすが商売人の子である。おねえちゃんは恋愛に関する語句のあたりを読んで大笑いしてお母さんに見せている。

 

語学に興味津々な姉妹

 
ちょうど昼時なので麺料理を頼む。メニューに「noodle soup」とあるのを、「クィティアウか?」と聞くとそうだと言うので頼んで2ドル。「マテーヘ」と唐辛子も出してもらう。ううん、ベトナム南部と同じ甘くて濃厚な味付けだ。久しぶりに出汁の聞いたものを食べて満足する。

 

クイティアウ、2ドル。

 
飯を食べ終えると、14時と聞いていたバス(ミニバン)がすぐ出発するという。客が集まらないので諦めたのだろうか。一度私だけを乗せて出発した後、一度また商店の前に戻り、大雨の降り始めた中であれこれ荷物を積み、また隣の飯屋にいた白人カップルも乗せて、12時40分ごろに再出発となった。カンボジア・ラオス国境は、通例と違って道路の右側がカンボジア、左側がラオスという場所が長く続く。どうなっているのだろうと興味があったが、実際に見てみるとラオス側は深い雑木林になっているだけだった。おそらく、ここを踏破すれば簡単に国境侵犯はできてしまうのだろう。

 
バスは大雨の中を進み、13時50分過ぎにはストゥントゥレンの街へと入っていった。バスターミナルで「乗り換えだ」と降ろされてみると、そこはこのバス会社の休憩所となっており、大量の白人観光客が飯屋でバス待ちをしていた。その中にはデット島で何度か見た顔もある。同乗してきたカップルと少し話をした後、アジア系の乗客数名が集まっていたテーブルに移動してコーラ(1ドル)と水(2000リエル)を飲む。2組のカップルのうち、派手な入れ墨をしたマレー系華人のようにみえる方はラオス行のバスに乗って去り、他の白人客もシェムリアップゆきのバスに乗って去っていった。私を含む残された数名、私、アジア系の垢抜けたカップル(後にカナダ人と知る)、白人カップル2組だけが、15時に来たプノンペン行きに乗ることになった。

 

今回の旅程には関係ないが、ここからベトナムのザライ省ゆきバスもあった

 
結局バスがクラティエの街に到着したのは17時頃だったか。運転手にクメール語で「クラティエで降りる、第10通りのあたりに行く」と言ってはいたのだが、降ろされたのは第7通り近くのバスターミナルだった。ひどい大雨のためにミニバンから降りるのにも一苦労だったので写真も取っていないが、大きな寺院の向かいである。しばらくカナダ人カップルと話した後、コントゥムで買った雨合羽をバックパック・ショルダーバッグともに守れるように着込み(あとで気づいたが、左の脇腹が裂けていた。浸水被害はなかったので脱いだ時のものだろうか)、小ぶりになるのを待って第10通りの安宿へ。最初の宿は「6ドル。ただしエアコンの部屋はない」と言われ、その向かいの中華系旅社もエアコンなし、メコン川沿いの「U-HongII guest house」にエアコン・ファン・WiFi付きシングル12ドルの部屋があったので泊まることにした。バスターミナルで別れたカナダ人カップルもこの宿の前で鉢合わせ、結局同じ階に泊まることになった。

 

 
シャワーを浴び2時間ほど休憩してから受付階に降りると、宿帳を書いて前払いをしてくれと言われる。ドルがないのでATMを教えてくれと言うが、英語の出来ないおじいさんは街の中心を指すだけである(普段の業務は英語の出来る娘さんが主にやっている)。大雨の中結局2kmほど往復して4日分の生活費+アルファの130ドルを降ろす。日本側含めて手数料5ドルほどは痛いが現金が尽きているのでしょうがない。帰りに2000リエルの大ボトルの水、2ドルの携帯電話チャージを買い、宿に戻って炒麺とビール2本で5ドル。初日で疲れているからこのくらいの贅沢はいいだろう。結局雨は夜更けまで降り続いていた。

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