ハノイ市街・國子監文廟など
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ハイズオン省へと向かう汽車は今日午後2時半。それまでバイクを借りて、ハノイ市街をあちこち回ることにした。なおバイクはホテルの受付のおばさんの私物で1日160千ドン。まぁハノイ中心街ならこんなもんである。荷物をまとめてホテルの受付に預け、マフラーが見つからないと部屋に探しに戻った妻を待ちながら受付のおばさんと少々話す。「妻は前にフエに行ったときもスマホを落としたんだよ」とぼやくと、「いいじゃない、女は忘れ物の専門家なのよ!」とはおばさんの弁。
まずは朝食。昨晩妻の友人に勧められた bánh canh cua(カニのタピオカうどん)の店へ。1杯80千ドンと少々高めだったが、カニの香りも強くてとても美味しかった。しかし bánh canh って南部料理だよな、本来は……。
そのまますぐ近くのハノイ大教会(聖ヨセフ教会)へ。礼拝時間ではないのでまわりをふらふらしただけ。だんだん、妻の撮影旅行に付き合っているだけなのではという気がしてくる。「ベトナム女性と結婚した人あるある」である。
土日のホアンキエム湖周辺は歩行者天国になっていてバイク乗りには厳しいのだが、よく見ると駐輪サービースはあちこちにあるようだ。妻の友人おすすめのカフェ近くにバイクを停めて少し歩くと賑やかな音楽が聞こえてきた。どうも今日は近くの公園で、「ホアビン省産地直売&少数民族フェス」のようなものが開かれている模様。
冬虫夏草はベトナム語でもそのまま đông trừng hạ thảo(ドンチュンハタオ)である。
日本人にはあまり知られていないが、ベトナムははちみつの産地でもある。
少数民族舞踊ショーのようなものもやっていた。
なお、この公園はリ・タイトー(李太祖)公園という。太祖という呼び名からわかるとおり王朝の始祖である。本名は李公蘊(Lý Công Uẩn)。ニンビン省コーロアに都を置いていた独立ベトナム2つめの王朝である前黎朝の将軍で、後に李朝を開き1010年にハノイに都を移した。日本人には、王朝の始祖というような人はみな武人姿であろうという思い込みがあるが、見ての通り文人姿の像である。日本には本当に文治がなかったのだよなあ、と思い知らされる。
カフェで少々休憩。ここは欧米人客が非常に多いところであった。
次に向かったのは國子監文廟(Văn Miếu Quóc Tứ Giám)。よく観光ガイドには「文廟」とだけ書かれているが、孔子を祀った文廟はもちろんベトナムのあちこちにある。私はいままでだと、ヴィンロン市、ビエンホア市のものにいったことがある。
廟の前になにやら机が置いてあり、若い子が何人かいたので覗いてみると「ハノイ大学日本語学科 日本語で無料ガイドします」とあった。んが、日本語で話しかけてもほとんど聞き取れていないようである。ベトナム語に切り替えて少々話して、「もっと勉強してね」と言っておいた。
前回は見た覚えのない、版画・印刷体験コーナーのようなものがあった。よく見るこの意匠は、科挙に合格して故郷に凱旋するの図であろう。
これは日本で言えば絵馬であろう。lưu giữ ước nguyên(留持欲願)とある。
こういうものを見ていると、千年二千年の昔から人々は真実を求めてきたのだなと感服する。と、ともにいまのフェイクニュースのあふれる世界を思い、暗澹たる気持ちにもなってくる。
文廟の対面にある公園では、Ông đồ (翁圖:書道家のこと)が土産物に書を売っていたので、妻と私の名前入りで「順」(Thuận)と書いてもらった。ベトナムでは目出度い漢字の典型として、老人なら「寿」、金運なら「福」のような定番がある。夫婦の場合は、「喧嘩しない」という意味(「逆」の対義語)でこの字がよいそうである。もともとは、「男女の順を守れ」という男尊女卑的な意味合いだったのであろうが、まぁよしとする。このサイズのもので200千ドン。ほかにも正月飾りをいくつか買った。
そのあと一柱寺に向かったが、バイクを止められるところが見つからずに断念。まぁあれはわざわざ見るほどのものではない。あれは完璧な「ベトナム版がっかり観光地」なのだ。国家の中枢をみたことのない妻のために、ホー・チ・ミン廟やバーディン広場、国会前などを見て回り、そのまま西湖を一周、最後にロンビエン橋を往復して、ホテルの近くに帰り着いた。
昼食はホテルの近くでブンチャーハノイをいただく。サイゴンでは、このだし汁につけた麺を小椀にとっていただくのだが、ハノイではみんな小椀は使わずに直接丼から食べているようだった。名物の bành tôm hồ tây (西湖エビの天ぷら)なども頼んでいたら、2人で200千ドン近くになってしまった。このあと妻の買い物に少々つきあってからホテルに戻り、汽車に乗るべくタクシーでロンビエン駅へと向かった。
(続く)