ウドン(Oudong)へ①
※地図と旅程はこちらを参照。
今日はカンボジア東部に残る古い王都のひとつ、ウドンへ行く。
カンボジア王国(クメール帝国)は、15世紀のはじめにシャム(アユタヤ王朝)によりアンコールワットを失ってより、トンレサップの東岸に国の中心を移して遷都を繰り返すことになる。それからフランスの保護国になるまでは、西はシャム(アユタヤ王朝~ラッタナコーシン王朝)から、東はベトナム(黎朝~西山朝~阮朝)からたびたび攻められ、また滅亡したチャンパからの難民流入にも悩まされた。この時代はカンボジアの「暗黒時代」とまで言われている。なお、ウドンに都が置かれていたのは1618年から1866年と、200年以上の永さに亘っている。
朝ごはんは昨日同様に宿の隣の飯屋で豚肉飯(バイーサイッチュルーク)。今日のは目玉焼きがついているのに、何故か昨日より500リエル安く、カフェ1杯込みで7500リエル。まさか2日で常連扱いということもあるまいが。
食事を済ませてからしばらく歩き、適当なところでツクツクを拾う。Grabアプリではプサータマイ(新市場)のソリア社バス乗り場まで4.8千リエルとの表示だったが、運転手に「ソリヤ、プサータマイ、ブオムポアン(4,000)」と言ってみると、オーケーオーケーと快諾し乗せてくれた。やはりgrabの価格は市井の価格よりかなり高めなのだろう。
ソリヤバスターミナルで「ウドンへ行きたい」と英語で聞いてみると、「コンポンチュナン行き5ドル(20,000リエル)、途中で降りなさい」とのことだったが、ターミナルの外にたむろしているミニバンの運転手に「ウドン?」と声をかけてみると、「ムオイムーン(10,000)、プラムバイー(8)、ナントカカントカ……」と言われる。18,000リエルか? と思ったが、よく聞いてみると料金は1万リエル、出発が8時とのことだった。9席ほどのミニバンに乗るとすぐに出発。私以外の乗客はなぜかすべてお婆さんだった。
ミニバンはいわゆる「日本橋」の近くで国道5号線に入り、トンレサップ川沿いに北へと向かう。プノンペン中心部を抜けると道路沿いには立派な髭を蓄えたムスリムや、ヒジャブをまとったムスリマの姿が目につく。2年ほど前に見たコンポンチャム郊外と同様、思ったよりイスラム教徒のチャム人の人口が多いらしい。「チャム」と独り言を言うと、前の席の赤いターバンの老婆が振り返り、己を指差し「チャム」と言う。そういえばこのターバン、うちの近所にもつけているお婆さんがいたなと思い出す。
(続く)