コンポントラッチで1日
※この記事は旅行から帰った後に書いています。当日のレートはおおよそ4020リエル=1米ドル=22.3千ドン=108円でした。
※地図とこの旅行のインデックスはこちらを参照。
12時半過ぎにコンポントラッチの街の入り口につく。私の荷物を下ろしてくれる男がいて、バスの乗務員だったか……と思ったが違った。地元のバイクタクシーだ。はっきりとNoを伝え、荷物を奪い返す。「どこに行くんだ」「モト、モト」としつこく付きまとってくるのを追い払い、街に向けて歩く。googlemapでみたところ、コンポントラッチはこの街道沿いに東西ほんの1kmもないような街だ。バスの最終目的地はカンポットとの事だったが、コンポントラッチの街中を抜けていったのか、南の方、ベトナム国境に向かっていったのか判然としない。バイクタクシーに気を取られていたせいだ。ほんとうに、バイクタクシーはろくでもない奴らばかりだ。
街の入り口近くには本頭公廟なる華人の廟堂があった。そういえば歴史的にもこのあたりはハティエンと同じく、18世紀に華人の半独立国「港口国」が栄えたあたりだ。
街の北のこの小高い丘は「コンポントラッチ山」だという。街なかにはこの山へゆく道案内の看板もあり、そこには「コンポントラッチ山リゾートホテル」の広告も書かれていた。とはいえ旅行者もほとんど訪れない田舎町だ。おそらくは政府役人・王室関係者用が出張・巡幸に来た時のためのものだろう。
ラオスの田舎でよく見られる、トラクターを改造した荷車も走っていた。
街に入ってしばらく歩いたところに guest houseの看板があった。比較的きれいな建物で、扇風機のあるロビーらしき場所も用意されている。値段を聞くとエアコンありで13ドルだという。昨日までの宿が12ドルだったこともあり、一瞬気後れして「他を探す」と言って出てしまったが、背負った荷物のこともありすぐに疲労困憊、お寺の近くのサトウキビジュース屋台に1000リエルのを1杯頼み腰を下ろさせてもらう。ホテルを探しているのだが、と聞くと、来た方とゆく方を指さし、かろうじて聞き取れるクメール語で「2(ピー)」と言ったように聞こえた。この先にもう1軒あるのだろう。看板を見落とさないようにまた歩いてゆくと、市場を過ぎたあたりにまたゲストハウスの看板が見えた。
値段を聞くと12ドルだという。部屋を見せてもらうと随分な汚さだったが、エアコンもファンもあり、ベッドもダブルサイズが2つ。たった1晩のことだ。13ドルの宿に引き返す労苦を考えるともうここでいいかと投宿することにした。サーヴィスで出ていたペットボトルの水のうち1本はキャップに封紙もなく、キャップを軽く握っただけで簡単に開いてしまった。飲まないほうがいいだろう。
荷物を解いて外に出てみると、カンポットまで36kmというマイルストーンがあった。
そういえば昼がまだだった、と市場に入る。言葉の通じない国の市場は、言葉の通じる国の市場より不潔に感じてしまう。
市場のあちこちでバーイ(ご飯)を訪ねて歩いたが、市場内はカフェしかないようだった。サトウキビジュースを1杯買い、街道に出るとフティウとお粥の屋台があった。フティウは1杯5000リエル。味はまぁまぁ。店では凍らせたペットボトルの水を売っていたのが印象的だった。
この街で見どころになりそうな場所は市場と寺と中華廟しかないようだった。中華廟は街の端なので明日出立のときに寄ればいいと思い寺へ。
寺の前で賭けトランプをしていた若い男が「日本人彼女募集中」のTシャツを来ていたので、近くのおばさんに意味を説明してやる。
物売りに声をかけられて見てみると、なんと売っているのはベトナムの宝くじ(バクリエウ省公社のもの)だった。
もうこのあたりでやることがなくなる。言葉もほとんど通じないし、何より午後のこの時間は暑くて誰も積極的な行動には出ない。市場近くのカフェで1500リエルのアイスミルクコーヒーを頼んで飲んでいると、テレビで香港製と思しき特撮妖怪映画が流れていた。セリフなど聞き取れなくとも誰にでも判るストーリーで、アクションあり、お色気あり、笑いありで、若くて美しい女性が弱きを輔け強きを挫くという定番のストーリー。しかし思わず引きこまれ、お茶を3杯はおかわりするほど見入ってしまった。この街の急須はかなり中国色のつよい、おおぶりな彩色陶器のものであった。映画が終わってしまったので、2000リエルのエナジードリンクを買って宿に戻る。
日が暮れる時間になったので夕食を食べに出る。まずは夕暮れの風景を。
飯屋を探すがビールのあるところがなく、テイクアウト客が数人いた店に入る。指さし注文で飯と、鶏のぶつ切りと、小魚の揚げたものを頼む。大して旨くはない。むしろ多くの日本人は「まずい」と言うだろう。カンボジアではポル・ポト時代に家庭料理という家庭料理は滅びてしまい、焼く蒸す揚げるといった基本調理法しか残っていないと言われる。下味をつけるだとか、ハーブを利かすといった概念はなく、ベトナムに見られるような多彩な合わせ調味料も出てこない。ベトナムと共通するような麺類、おかゆ類、タイと共通するようなゲーン(カレー。カンボジアではアモック)、中華のチャーハン(バーイチャー)を除くと、本当に粗末な料理しか残らない。これにビールを小2缶つけただけで13千リエル(3ドル25セント≒72千ドン)。ベトナムだったらこんなもの40千ドンくらいじゃないか、と思いながらも言われた額を支払う。
物足りなさを感じ街をうろつくと、2人組の女学生にいつものごとく注目され笑われる。ベトナムと同じく、ここらの娘も私を見るとつい笑ってしまうようだ。身体の大きい外国人がにこにこして歩いているだけでおかしく感じる年頃なのだろう。彼女らが出てきた店で3000リエルのフルーツスムージーを頼み、1000リエルの水と一緒に宿に持ち帰る。
この日使ったお金は、宿代48千リエル含め合計で109千500リエル。ベトナムドンにして593千ドン、日本円にして2920円。言葉の通じない国で移動日に12ドルもするホテルに泊まってこれなら、かなり節約できたほうだ。