コンポントラッチからベトナム国境まで

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※この記事は旅行から帰った後に書いています。当日のレートはおおよそ4020リエル=1米ドル=22.3千ドン=108円でした。
※地図とこの旅行のインデックスはこちらを参照。
 

汚い宿のわりにエアコンはきちんと効いたようで、前日のタケオに比べればよく眠れた。7時には起きてシャワーを浴びるが、水道水がはっきりと塩辛く感じる。2週間前のベンチェ省以来である。
 

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身だしなみを整えて朝食に出ると街の様子は昨日から一変、大量のミニバスが停まり多くの人が長距離移動の準備をしている。このあたりには工業団地もないし、まさかこのカンボジアで通勤ではあるまい。カンボジアの正月は13日が元日で、16日までの4日間が公式な祝日、17日の日曜が過ぎて18日には平常に戻っていると思っていたのだが、休みを延長して田舎に帰っていた人がプノンペンに戻るのだろうか。16日が土曜だったので、昨日まで振替休日だったという事も考えられる。
 

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こちらは宿を出て右手、州都カンポット方面。
 

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朝食はカンボジア滞在中にまだ食べていなかったボボー(おかゆ)の店へ。最初、白粥だけが運ばれてきて「これを食べろってか」と思ってしまったが、すぐにおかずが運ばれてきた。ナムル風に和えた野菜と、日本のイワシ缶とまったく同じような味付けの煮魚(身は固く佃煮に近い)と塩の効いたゆでたまご半分(きれいに切れていない)。これに唐辛子とライムがついて全てを混ぜて食べる。これはなかなか美味い。下手に皿飯などを頼むよりもお粥を食べていればよかったと思うほどだ(しかし、お粥ではビールに合わないのが問題である)。注文のときも慣れたふりをしてぶっきらぼうにクメール語で。会計の時も他の客の会話に耳を澄ませ、会話教本にかいてあるような「ソーム・クッ・ルイ(お会計願います)」ではなく、「ボーンスライ、ルイ!(ねえちゃん、金!)」のほうが良さそうだったのでそうする。果たして値段は1杯3000リエルとこれまでで最安であった。「旅の指さし会話帳」のクメール語版は非常に出来が悪く、たとえば「金」という語がどこにも説明されていなかったりしている。問題である。
 

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ふと店の壁を見ると、まだ新しい華人学校の生徒募集広告があった。華人はいまでもリアルに華人として暮らしているのだろう。学年は幼年2年間、小学校6年間、中学校3年間ということだろうか。学費は小学校5年生で25000リエル(50ドルほど)。特殊な学校でこの値段なら、一般のクメール人学校の学費もある程度想像できそうだ。
 

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タイの栄養ドリンク、M-150を1500リエルで1本買い宿に戻る。荷物を纏め10時前にチェックアウト。街の東の端、ベトナム国境の街ロックに通じる三叉路までゆっくり歩く。コンポントラッチ山を望む風景を最後にもう1枚。
 

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最後に寄ろうと思っていた華人廟に。有求必應。求める者は与えられる、ということだろう。キリスト教の聖書にも同じ語句があるな、と思う。
 

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寄付額などが書かれている。
 

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こちらも寄付額。まだ最近のもの。
 

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影になっていてわかりづらいが、ベトナムにもある正月の獅子舞の頭。
 

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廟の中では5人ほどの子どもたちが遊んでいたのでしばし遊び相手に。アンコール・ボレイでも見た未成熟のタマリンドと思われる物を食べていたので、名前をこのチャンスに、と聞いてみると、やはり「オンプル(タマリンド)ナントカカントカ」という。タマリンドで間違いないだろう。ここでも塩唐辛子をつけて食べていたので、子どもの手から塩唐辛子をひとつまみもらって付けて食べてみる。やはり渋くて到底美味しいとは思えない(食べられないほどではない)。クメール人はクモだとか、魚の背びれだとかの日本人から見てゲテモノと思われるものをよく好むが、これもそのたぐいなのだろう。
 

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子どもたちに別れを告げて街道に戻る。三叉路までゆくと案の定バイクタクシーが数台待ち構えている。ベトナムにゆくというと5ドルだとふっかけてくる。ガイドブック「LonelyPlanet2015 Cambodia」(コンポントラッチ自体の情報はないが、国境情報はあった)には3ドルとあったので、3ドルしか払わないというとそれで通じた。老人のバイクに乗り、あご紐の留具が壊れたヘルメットを片手で抑えながらかぶり約30分15kmほど走ると見覚えのある(昨年、逆方向から眺めている)国境のゲートが見えてきた。