2つの史跡
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ホテルをチェックアウトして、昨日通過した Kenh nước mặn(塩水運河)方面にまた向かう。途中で田園の豪邸をぱちり。お金はあるところにある。
乾季の真っ最中の1月だと言うのに大雨に振られてしまった。朝食もまだだったので、雨宿りがてらに街道沿いの適当な飯屋に入る。煮魚と飯、それにコーヒーをつけて、果物もサービスしてもらって50千ドン。
イー・チャン10歳がお母さんを手伝っている。本当に10歳かよという貫禄。
今日は「塩水運河」と「カンジォック川」と「ソアイラップ川」と「ヴァンコー川」に囲まれたエリアにある2つの史跡を見に行くことにした。まずは「百柱の家」へ。
これはベトナム中部の職人たち1903年に建てたフエ風の建築で、名前は「百柱の家」となっているが、実際には百二十本の柱があるそうである。ベトナムの文化建築遺産に指定されている。
なかなか趣のある所であった。ベトナムのこういう史跡では記帳して寄付金を払うのが定番なので100千ドン払う。しかしその後土産物のマグカップ70千ドンを買って100千ドン札を渡した所、お釣りが帰ってこない。一度どこかに行った売り子のお婆さん、戻ってきてもしらっとした顔をしているので、「30千ドン!」と強く言ったらしぶしぶ返してきたのが気に入らなかった。
ここも百骨の家の敷地の一部なのだろう。美しい池に白鳥を見た。
さらに先に進み、Đồn Rạch Cát(ラックカット根拠地)というフランス植民地時代の砲台へ。この砲台はソアイラップ川の河口を睨む位置にあり、サイゴンを防衛する拠点の一つだったのであろう。
しかし……。砲台に近づくと銃を持った兵士が警備している。ちょっと迷ったが、手を降りながらにこやかに近づいて話をしてみると、どうもこの砲台はまだ軍隊による管理が続いているらしいのである。
「これは史跡ですか?」
「違う」
「軍隊が管理していますか?」
「そうだ」
「写真を撮っていいですか?」
「1枚ならいい。近くはだめだ。向こうに行け」
私のベトナム語能力ではそれ以上はわからなかった。
googlemapを見ると、そこから更に北に行ったところにも船着き場があるようだったので行ってみたが、途中で水没している細い桟橋があるだけだった。思わず先端まで行ってしまったが、バイクを回頭させるのが大変であった。
(続く)