ギアロー市社の夕方

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※このときのレートは、1ドル=23千ドン程度です
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バスがギアロー市社(※市社:thị xãはベトナムの行政区分で、日本の「町」のようなレベル)の市場前にさしかかったのが15時45分ごろ。ハノイを出てから5時間少し経っている。郊外のバスターミナルには寄らずにこのままムーカンチャイまで向かうようだ。ぎりぎりまで迷ったが、ここで降りることにした。乗務員が名刺を渡してくる。

 
本当に小さな街だが、思ったより活気はある。街の中心部の市場の西端付近が大きな三叉路になっており、そこにギアローホテルとミエンタイホテルという3つ星のホテルがあった。ハノイからイエンバイにくる観光客の拠点として、これから街を発展させようという計画があるのだろう。ネットで調べてみるとギアローホテルは1泊6000円程度だった。普段私が泊まる宿の6倍である。

 
そこからすこし西に入ったところ、アオセン3通りという農村の道にセンホテルというのがあったので尋ねてみる。きちんとスーツを着た受付が1泊300千ドン(1500円)というが、レンタルバイクなどはないそうだ。次にその近くにあるマイフーン(Mai Phương)という新し目のミニホテルを尋ねてみるが、誰もいない。表示価格は1泊200kドン(1000円)。奥に声を掛けてみると、隣の家から経営者の家族らしきおばさんがやってきて、あれこれ話しているうちに、まだ部屋も見ていないのに泊まることになってしまった。

 
おばさんは、レンタルバイクなら私のを貸そうか、という。棚田を見に行きたいというと、「遠すぎるからバイクはダメ。朝になったらそこに車がたくさん来るから乗ればいい」という。「車」というのがバスを指しているのか、観光用のチャーター車のようなものを指しているのか、一般的なベトナム語では判別できないが、まぁいいだろう。ふつうベトナムのホテルでは客のパスポートを預かるのだが、ここではヴィザと所有者欄の写真を撮っただけで、前金もとらない。不用心だなぁ。

 
部屋はベランダ、エアコン、天井ファン、温水シャワーつき、ダブルベッドの立派な部屋だった。荷物を置いて散策に出かける。

 



農村を観光資源にしようとしているのか、建設中の寺院?もあった。とはいえ静かな農村である。

 

川の上に棚を作って瓜の類を栽培している。

 

このあたりはタイ(Thái)族の人口も多い。タイ族の家は高床式になっている。

 

コンクリートの時代になっても高床の家を建てる。

 

 

 

しかし美しい農村風景である。ここで一泊すると決めた甲斐があった。農村の道には犬がまろび、アヒルが散歩し、目があった10歳くらいの少女が体をくねらせ「にへー」と笑いかけてくる。

 
市場を散策すると、やはりタイ族の姿が目立つ。タイ族の女性は結婚すると頭髪を頭の上でお団子に結うのですぐわかる。他にも色々な少数民族がいるようだ。

 
そろそろ夕食の時間だが、ここもフンイエンと同じで食事のできる店は少ない。三叉路脇の観光客目当ての店は不味いらしい(不味かったと怒っている、ベトナム女性を連れた欧米の老人がいた)。

 

あちこち歩くと、若者が宴会をしている老夫婦経営の店を見つけた。「飯はあるか」と聞くと、豚肉と豆腐とスープがある」という。特にメニューもないようなので、じゃあそれとビールをくれと言う。飯屋というよりほぼ家である。

 

豚肉の焼いたの、豆腐をトマトと煮たの、とろみのある野菜とすり身のスープ、ご飯はお櫃で出て、ビール2本つけて合計70千ドン。少々高いか。おばあさんに「あんたは南部の人かね」と聞かれ、「外国人ですよ。サイゴンからきました」と言うと目をぱちくりさせて驚いていた。

 
三叉路の角にある4階建ての大きな個人経営スーパーで水とおやつを買ってホテルに戻る。ホテルのカウンターにはやっぱり誰もいなかった。

 
(続く)