国立歴史博物館など

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※このときのレートは、1ドル=23千ドン程度です
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結婚式には、以前妻と同じ工業団地で働いていた女性も参加していたので(出張のついでだそうである)、式終了後は彼女も私達と同じホテルに宿泊。彼女の感想でもこのホテルは「うーん……」というレベルであったとのことである。

最終日の朝は早起きして、3人で白タクを雇って国道5号線まで移動。私達は国道5号で適当にバスを拾ってハノイまで。友人氏はまた結婚式場へ。私達の乗ったバスはホアンキエム湖の南側までしか行かないと言うので適当なところでおろしてもらったら、ちょうど国立歴史博物館の近くであった。朝食がまだだったので、博物館と同じ敷地のちょっと豪華な感じのレストランでフォー。

 

むむ、1杯60千ドンと観光地の小奇麗なレストランとしては安く、そしてかなり美味い。ここはおすすめです。Tông Đản通りと Tràng Tiền通りの角にある Đại Hải というレストランです。

今日はとくにどこに行こうというわけでもなかったので、そのまま国立歴史博物館に入る。妻はこういうものにとんと興味がないのだが、たまには付き合ってもらうことにした。ここには2015年に一度来たことがあるが、当時は挨拶と買い物レベルのベトナム語しかできなかったので、改めての再訪である。今回は展示物に書かれているベトナム語は8割以上わかる。

 

これは #夜中には歩くだろう 展に出展したいですなあ。

 

今回、あまり観覧時間はなかったのだが、前回は見てもよく分からなかったこの文様に再会できてとてもよかった。これは何かと言うと、ベトナムの先史文明のひとつ、ドンソン文化の遺物である銅鼓の表面の模様である。現在のベトナムからは想像もつかないこのプリミティブな芸術は、実はベトナムの隠れたシンボルなのだ。こういう例えはあまり好きではないが、もし「アオザイと菅笠」が「フジヤマサムライ」だとすると、この銅壷の模様は、「縄文土器」のようなものなのである。

 

実際にこの文様は、私がベトナム国家大学ホーチミン市校人文社会科学大学でベトナム語を学んだ際の教科書の表紙にも描かれていたし

 

ベトナムの結婚証明書のバックにも描かれているのである。

 
またこの手の文様は、エデ族などのベトナムの高原地帯の少数民族の間に類似のものが残っているのである。あまりにも中国化したベトナム主要民族であるキン族の文明のアンチテーゼともいえるこの文様を、結婚というプリミティブな行為の証明書の文様として、多民族国家ベトナムが採用しているというのに何らかの意思を感じるじゃないですか。


今日は日曜日で妻が教会に行きたいというので、早めに博物館を切り上げて聖ヨセフ教会に行くが、ネットで調べたミサの時間はなんと英語ミサのものであった。ベトナムの各種団体のホームページってなんで時間に関してテキトーなことしか書いてないんでしょうねえ。仕方ないのでスタバで時間を潰し、ホアンキエム湖の東北あたりにあるバス停で空港行きの路線バスを待っていると、ちょうど私達のような観光客を狙ってか、空港行きのミニバンがバス停の前に停まって客引きをしてきた。これに乗って空港まで40千ドン。毎度おなじみのベトジェットエアのディレイに悩まされつつも、日曜の夜6時過ぎにホーチミン市へと帰り着いたのであった。


これで終わり……と思いきや、この旅行にはとんでもないお土産がついてきた。私達がホーチミン市に帰って3日後、ハイズオン省でSARS-CoV-2の大感染が発生したのである。しかも中心となったのは、結婚式をおこなったカムジャン県のとなりのチリン市。さらに私達の前日に結婚式に来ていた花嫁の従妹のひとりがチリン市の病院で会計係をやっており、病院を訪れた陽性患者からお金を受け取っていたのである。私も妻もめでたく3次接触者である。

そして私は週の後半、会社命令で早退してPCR検査を受けに行くことになり、もちろん陰性ではあったものの2週間の自宅待機を余儀なくされたのであった……。まぁ結局は花婿の従妹からして陰性だったのだが。

(本当に終わり)