Du lịch Việt Nam 2012/Aug/18 Part4 戦争証跡博物館と統一会堂

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この記事の前提条件は1日目パート1を参照ください。
※この旅行記は帰国後に書いたものです。ブログの投稿日時を旅行当日に合せています。


3日目(8月18日)その4 戦争証跡博物館と統一会堂

 

Bảoのトイレ

 

Bảoのトイレはこのようなものであった。実はこれは1階のトイレで、最初に案内された2階のトイレは、謎の溝がある謎のスペースだったので、用をたしていいか迷ったのだ(のちのそれが普通のトイレだと知る)。

Lê La(レロイ)通りまで歩き、メイリンタクシーを拾い、「ホーチミン作戦博物館」に行くよう頼む。初乗り11,000ドン。若干ビナサンより安い。

「ホーチミン作戦博物館」(Bảo Tang Chiên dịch Hồ chí minh)は、1975年に行われた「サイゴン解放」を最終目的にした、ベトナム戦争最後の作戦行動「ホーチミン作戦」(Chiến dịch Hồ Chí Minh)だけに展示を絞った戦争博物館だと聞いていた。

戦争関連でいちばんメジャーな「戦争証跡博物館」は明日のクチトンネルツアーの帰りに、そこでバスを下ろしてくれるオプションもある。今日は「ホーチミン作戦」だけをじっくり見てやろうじゃないの、と思っていたのだが……。

タクシーはナムキーコイギア通り、パスター通りを過ぎ、北東へ向かう。途中、地図と街の看板をみくらべながら「なむきーこいぎあ」と繰り返していると、発音のへたくそさに呆れたのだろう、運転手が正しい声調を繰り返し教えてくれた。この手で勉強すればよかったのか。

いい人や。

そしてヴォヴァンタン通りの交差点で、……えっ? なぜ左折? わたしが行きたいのは動物園のほうだよ? 一方通行かなにかで回り道? と思ったとたんに「ここだ」とタクシーが停まる。たしかに何か、戦争博物館のような……、と思っているうちに、ついつい38,000ドンの請求に50,000ドンを渡し、12,000ドンを受け取り、降りてしまった。

あー、ここ、戦争証跡博物館じゃねえか! 俺が運転手にみせたメモ書き間違えた??

いや、確認したが間違ってない。俺が正しい。ああ、ガイジンが「戦争なんとか館」っつってるからここだろ、と一番メジャーなところに連れてきたってわけか……。

まぁ、仕方ない。もう夕方だし、せっかく来たので見物するか。

 

南側の入り口

 

ちなみにこの南側入り口から入ったのだが、お金は取られなかった。後日、実は15,000ドンの入場料が必要と知る。

この戦争証跡博物館に関しては、そこら中で紹介されているだろうし、私があえて書くこともないと思うので、写真などは載せない。各自適当に調べればいいと思う。

個人的に面白いなとおもったのは、撃墜されたB52の破片。そういえばユーゴでもステルス機の撃墜は大きなニュースだったなぁ。やはり高高度を飛ぶ敵を仕留めるのは誰にとっても栄光か。

あとはベトナムに展開していた各国部隊の部隊章コーナー。アメリカ特殊部隊の「剣に3本の稲妻」はじめて見れた。

外の売店で水を買う。10,000ドン。

女性白人観光客の肌がまぶしい。ちくしょうめ。

博物館は17時に閉まった。15分くらい前から、ドアを施錠するチェーンをもった係員がうろうろしだし、10分前には大きなサイレンが鳴った。白人男性が驚いていたので「17時だから閉まるのだろう」と、話しかけるでもなく呟いてみたら納得していたようだった。

 

夕方の統一会堂

 

ナムキーコイギアを南に下り、統一会堂前へ。もちろんここも17時に閉まってはいるので、外から眺めたのみ。ジャージ姿の女学生もバイクの後ろに乗っているとまぶしく感じる。

バイタクのおっさんが、日本語で「もう閉まった。明日来い。ホテルまで乗れ」というのを無視して、ビナサンタクシーをつかまえ、ホテルまで。

21,000ドンのところを50,000ドン札を出し、2,000ドン札をちらつかせたら、52,000ドンを受け取って30,000ドンのお釣を返してきた。

こういう計算、日本人しかしないってのは嘘だったのか。まぁ日本人は1,000ドンごまかさないだろうが。