ヴィンロンでの忘年会とメコンデルタ中洲の道

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※このときのレートは、10,000ドン=47円ほどでした。
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バイト先の日本語学校の忘年会が、本社のあるヴィンロン省ヴィンロン市で開かれた。今回、ビザランの必要もあったので、バイクで現地に向かい、そのままカンボジアに行ってしまおうという計画を立てた。

 
自宅からヴィンロンまでは、国道1A号線をずっと下ってミトーの手前で右折、カイライを通過してミートゥアン橋を渡り、という、メコンデルタを旅行する人間にはごくありふれたルートである。ただし140kmもあるので、50ccのバイクで行くのは大変だった、とだけ書いておこう。

 
また、忘年会についてもあまり詳しく述べない。12時集合だと言うのに少々遅れて12時半についたらまだ殆ど集まっていなかったとか、それから4時過ぎまでやることがなくエアコンのない部屋で寝ていたとか、忘年会といいながらベトナム政府労働部やヴィンロン省のお役人の接待でろくに飯が食えなかったとか、エアコンのない部屋に泊まるのが嫌で街のホテルに泊まったら、あとで学生に「先生は夜遊びをしに行った」と噂を流されたりとか、まぁいろいろあったのだが。

 
閑話休題。

 
忘年会を終え、ヴィンロン市からカンボジア国境に向かい北上するに当たって、以前から気になっていたことがあった。それは……

 

国道1A号を進み、交通の要衝・ミートゥアン橋を渡るのか


渡し船を乗り継いで中洲の島を経由するのか

 
どちらが速いのか、という話である。距離だけで言えば後者が近そうだが、道は当然前者のほうが快適だろう。今回はこれを実験するために、帰路は中洲の道を行くことにした。


 


ヴィンロンのホテルを朝早く出発して、市内を少し観光することにする。

 
ヴィンロンにはホア族(中国系ベトナム人)も多く、寺などでは漢字もたくさん見られる。ベトナム南部のホア族の多くは、中国で明王朝が滅亡した際に東南アジアに逃れた広東や福建の人間がルーツである。特に有名なのは、台湾で鄭成功の部下として戦っていた陳上川である。彼は鄭成功の死後にベトナム南部(当時、ハノイの陳朝と対立して半独立国となっていた)に5000の兵を引き連れ亡命し、メコンデルタの屯田兵になったのである。

 


これは福建人の建てた寺であろう。「福建公所」とある。しばし参観する。

 


こちらは潮州人の墓地であろう。「功臣廟」「潮州義祠」とある。ベトナム南部の華人の歴史はいつかしっかり勉強してみたい。

 

ヴィンロン本土から中洲のアンビン島に渡る。渡し賃は4000ドン。

 


ベトナムでよく見かける、日本通運のパクリロゴ。

 


アンビン島の途中からベンチェ省に入り、そこからさらにティエンザン省に渡る。

 


さらに細い運河を渡る。

 
途中でもう分かっておりました。中洲の道は舗装はされているものの、道幅は狭くスピードも出せず、またフェリーの待ち時間も長く、ミートゥアン橋経由で行ったほうが圧倒的に早かったです……。

 
(続く)