つれづれ日本語ベトナム語 ~「行く」と「帰る」の文化の違い~
ベトナム語の基礎的な語彙の意味を深く掘り下げ、ネイティブが普段深く考えない日本語の表現についても学び直す記事の第二弾です
初めてなのに「帰る」?
ベトナム語の基礎的な単語の一つ、「về」。これはふつう日本語に訳すときは「帰る」と訳されます。ではこの新聞記事はどうでしょうか?
ベトナムの新聞「báo Lao Động」(労働者報)2020年9月21日の記事より。
Sẵn sàng đón đoàn tàu metro số 1 từ Nhật về nước.
日本からベトナムに帰ってくるホーチミン市地下鉄1号線の列車を迎える準備
これはベトナム初の地下鉄となるホーチミン市メトロ1号線の車両が、製造国の日本から運ばれてくるというニュースです。日本で作った車両ですから、当然ベトナムに「来る」のは初めてのことであって、日本語の感覚では決して「帰る」を使う状況ではありません。しかしベトナム語では、これは「về」を使うべき案件なのです。
日本語の「帰る」の意味を改めてきちんと考えてみると、「以前に在ったことのある場所に、もう一度行く」という意味だと了解できます。ですから日本人から見ると、この về を「帰る」と訳してしまうと……とても変ですね。
ではこれはどうでしょうか?
これは私のベトナム語のノート。教科書の読解の一部を書き写したものです。教科書の内容は、話者が近所の人を紹介するお話です。この文章は「彼は2年前に、新たに私の路地に移 vềしてきた」。「新たに」なのに「về」を使っているのです。
これを習ったときに、私は先生に聞いてみました。「彼は、2年前より以前に、この路地にいた事はないんですよね?」もちろん答えは「2年前に初めて来たんですよ」でした。
このことから、về の本来の意味はこう解釈できるのだとわかります。
話し手にとって、あるべきと考える場所、親しみ深い場所へ行くこと
ですから、ベトナム人が日本人の恋人を初めて両親のいる家に招く時も、ベトナム人は「恋人がわたしの家に về する」と考えるわけです。しかし、もしこれをうろ覚えの日本語で言ってしまうと……悲劇が訪れます。「ねえ、あなた、帰って!」。
「về」は決して「帰る」と等価ではない。理解していないと、大変なことになるかもしれません。
じゃあ、何時に帰る?
もうひとつ注意すべき点は、「時間」です。わたしは妻と同居をはじめた時、これが原因で喧嘩をしたことがあります。土曜日、休日出勤の妻の帰りを家で待っていたとき、スマホでの会話です。
“Em ơi, mấy giờ về à?”
(ねえ、何時に帰るの?)
“Dạ, e về 1giờ rưỡi”
(1時半に帰るわ)
しかし1時半になっても妻は帰ってきません。うちはエアコンが2階にしかないのですが、わたしは我慢して暑い1階で待っていました。2時になっても帰ってきません。結局妻は2時半になってようやく帰ってきました。
“Sao về trễ vậy? em đã nói về 1giờ rưỡi chứ!”
(なんで遅いの!1時半に帰ると言ったじゃない!)
“Hả? em đã về 1giờ rưỡi mà!”
(え? わたし1時半に帰るって言ったじゃない!)
話が噛み合いません。しばらくしてからハッと気付き確認してみると……
“về 1 giờ rưỡi có nghĩa là ra khỏi công ty 1giờ rưỡi mà!”
(1時半に về するというのは、1時半に会社を出るってことよ!)
な、なるほど……。日本語では、家にいる家族に対して「1時に帰る」といえば、「1時に家に到着する」という意味ですが、ベトナム語で「1時に về する」といえば、「1時に現在地から家に向け出発する」という意味だったのです。
これはたとえば、家に帰るのに2日かかるような場合でも同じだそうです(ベトナムは南北に長いため、バスで2日かけて帰省する人もいます)。「だって、いつ到着するかなんて、わからないじゃない!」というのが妻の言い分。これは、交通機関の定刻制に慣れきった日本人とは違う感覚ですね。
今いる場所に「行く」
最後にもう一つ、日本語で「行く」と訳される「đi」に関して。
以前、大学(ベトナム国家大学ホーチミン市校人文社会科学大学)にベトナム語を勉強しに通っていた時、月・水・金と、火・木では別の先生に教わっていました。ある時用事があって水曜日に大学を休んだあとの木曜日、月水金の先生にばったりとキャンパスで会った時のこと。
“Em ơi, sao hôm qua không đi học hả? Sang mai đi nha!”(きみ、なんで昨日行かなかったの? 明日は行ってね!)。
日本語では、「今大学にいる」のに「あしたも大学に行く」と表現するのは変ですね。でもベトナム語ではこう言うのです。
日本語の「行く」という動作は、「今自分がいる場所からみて」という「現在地中心主義」なのですが、ベトナム語ではやはり「家」、つまり話者にとって「あるべきと考える場所、または親しみ深い場所」が基準点となる「あるべきと考える場所中心主義」なのでしょう。
ベトナム人に日本語を教える時、「行く」「来る」の区別がうまく理解してもらえずに悩む日本語教師は多いかと思います。やはり文化の違いを理解することは大事ですね。