ベトナムの実習生送り出し企業を退職しました

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退職のお知らせ

2023年3月某日をもって、5年ほど勤務した実習生送り出し企業「M社」を退職いたします。M社はベトナムローカルの有限会社で、経営は女性社長とその旦那が完全に握っているという、いわゆるワンマン零細企業でした。

退職の理由としては、やはり社長の独裁が過ぎること。それに対してのストレス・不満がついに限界点を超えました。そもそも「この会社はおかしい」と辞めていく人が私の勤務した5年ほどで90人近く。ベトナムは日本と違い、非常に転職の多い社会なのですが、それでもこの数字は異常でしょう(会社の規模は、最大時でも40人以下)。私が辞めた時点で、私より古くからいるメンバーは、社長夫妻、副社長のH女史、経理の女性2名、営業部長(社長の甥)、受付のおばさん(社長の姉)の7人のみとなりました。つまり5年以上保っているのは社長の親戚と金庫番だけというわけです。

当初2018年上旬に働き始めたときは、半日のみのパートタイムであり、また当時はベトナム語の会話もそう大してできなかったので会社の実態はよくわかっていませんでした。また当時M社は、ハノイの大きな会社の看板を借りて「S社のホーチミン市支社」と名乗って営業していたため、さすがに社長もそこまで悪評の立つことはしないようにしていた可能性があります。

 

マタハラ、連休つぶし

何かおかしいな、と最初に感じたのは2019年のことでした。ベトナムでは女性は6ヶ月の産休が取れるのですが、その産休から明けて返ってきたM先生が、突然不満な顔を見せ、辞めてしまったのです。当時はわかりませんでしたが、今になって考えると、賃金などの待遇で、産休に対してペナルティを押し付けられるようなことがあったのでしょう。

また、その後すぐに私もフルタイムで働くようになったのですが、会社がなかなか労働許可証の手続きを行ってくれず、また労働に際しての契約書もなく、給料に関して口約束があるのみ、という状態でした。このため私は知らなかったのですが、実際は月金勤務の週休2日だったのに、社員はみんな「勤務時間は8時から17時、月曜から土曜まで」という週休1日の契約書を交わしており、「これは何かあった際に土曜出勤を命じられるようにするため。実際は土曜出勤はほぼないから」という説明を受けていたのでした。

しかし、フルタイムになってから、M社では連休が来るたびに「今度の土曜は出勤とします。契約書では土曜も出勤となっています」との通知が出され、ベトナムでは数少ない連休を「潰される」ことが頻繁にあることがわかりました。今なら確信できます。これは独裁社長の、サイコパス的心情から来るものだったのでしょう。

 

突然の解雇や仕事を干される同僚

2020年春、ベトナム社会にもCOVID-19の影が迫り始めたころ、同僚の日本人教師がいきなり解雇される事件がありました。授業終了後に通知され、その日のうちに解雇です。たしかに彼は、教壇に立たない時間に自分の趣味に没頭する(なにか高等数学の問題を一生懸命計算していたりしていました)、不まじめな学生に対して昭和日本の体育教師のように滅茶苦茶に怒鳴りつけたり、物を蹴ったりする、というような問題があったのですが、どうも主な原因は、COVID-19禍に対応するため土曜に頻繁に開かれるようになった会議を無断欠席してばかりいたからのようです。ただし彼は会社公認で土曜は副業をしており、おそらく当初は「土曜は実際は来ないでいいから」と言われていたのだと思います。それでも土曜の欠勤に目をつけられて解雇された、つまりは社長のダブルスタンダードにハメられたのでしょう。にしても、教師に対して、学生たちに挨拶もできないようにして辞めさせるのは、ひどいでしょう。

またそのころ、教務主任だったN.T.T.L.さんが仕事上で大きな失敗をしたことがあり、それからしばらくして「新しい教育部長のT.L.さんと、アシスタントのT.T.さん」がやってきて、N.T.T.L.さんが完全に干される、という事件がありました。N.T.T.L.さんはそもそも教壇には立っておらず裏方の仕事ばかりしていたので、「教育部長とアシスタント」が来てしまってはやることが全くなくなってしまい、結局は辞めてしまいました。そして新しい教育部長は社長命令だと言って教育内容もすっかり変えてしまい、新しいクラスは自分の連れてきた新教員にしか登壇させないようになり、結局それまでの同僚の先生たちはみんな辞めてしまいました。このように「粛清」的に人がごっそりいなくなる事が、以降も何度か起こります。

 

会社の設備なのに学生の自腹?

またこのころ、会社は介護実習生の送り出しを始めるようになり、介護の実技授業のための設備を揃え始めたのですが、その費用を、介護クラスの学生たちに自腹負担させるという事件がありました。もちろん学生たちは「これは後輩たちもずっとつかうんでしょう。おかしい」と不満を訴えたのですが、結局は1人500kドンほど払わされる事になってしまいました。この「自腹」はこの会社の異常さのキーワードの一つとなって、今後も立ちふさがってきます。

 

学生を辞めさせない、さらなるマタハラ

2021年の中頃から、COVID-19の間はベトナム政府の方針に合わせて、対面授業を行ったり、オンライン授業になったりと不安定な時期が続きました。このころは、いつ日本に行けるのかわからない学生たちが学校を辞めたり、休学を申請したりすることが増えましたが、会社はそれを頑として認めませんでした。そんな中、ある学生の保護者が警察官をつれて退学の交渉に来るという事件がありました。会社は、辞めたいと言う学生に対しても、手続きのために預かっている書類(高校の卒業証書など)を返さないというような事をしていたのです。それに対して知恵の回る保護者が(M社の募集源のほとんどはメコンデルタの田舎なのですが、この保護者はホーチミン市のある程度裕福な人でした)、警察官に賄賂を渡し、同席してもらったのでしょう。もちろんその学生はその日のうちに辞めていきました。

また、COVID-19禍で送り出し業界でも多くの会社が事業を縮小し、解雇整理なども行ったのですが、M社は解雇整理は行いませんでした(このことをのちのち社長は恩着せがましく言うのですが、実際は辞める人はさっさと辞めていたので切る必要がなかっただけです)。しかし、妊娠して産休を申し出た、地方本社(M社は募集源のメコンデルタ地方某所に名目上の本社をおいており、私の勤務していたのはホーチミン市支社でした)の教師が、産休を認められずに怒って辞めてしまうという事件もありました。この「産休」もこの会社の異常さを表すキーワードです。

 

COVID-19禍がすぎてから

この間に教育部長が2度変わり(T.L.さんは半年で、公認のN.L.さんは3ヶ月で、ともに社長との対立で退職)、あたらしく教育の責任者代行になったT.T.さんがまだ20代前半のコムスメだったこともあり、私もいち外国人教師以上の仕事をするようになりました。それに加え、COVID-19禍の間にオンライン授業やオンライン会議を大量にこなしていたこともあり、私のベトナム語はめきめきと上達し、会社の事情が(異常さが)だんだんわかるようになってきました。

このころ会社はオンライン授業には不要だと教育センターの建物を解約して新しく小さな事務所を借り、2022年春から細々と再開された対面授業のための教室はよそで間借りしていたのですが、相変わらず社員に自腹を切らせる癖が抜けず、そのよその教室の駐輪代金を教師は自腹で払うようにと命じられました。これに関しては私が猛反発したため、結局会社が払うことになりました。会社は外国人の私をかなり優遇していたようです。後で聞いたことですが、私が請求した場合はすべて支払われていた出張経費も、ベトナム人社員には一部しか支払われない事がよくあったそうです(たとえば、夜遅くホーチミン市に帰着した場合のバスターミナルから自宅までのバイクタクシー代などが払われていなかった)。

また、この頃になると会社のイベント等で社員が自腹を切らされていることがわかってきました。この会社は前述の通り募集源の関係で名目上の本社はメコンデルタ某省に置いているのですが、ホーチミン市で新年会だの忘年会だののイベントがあるたびに、本社のスタッフは自腹でホーチミン市に出てこねばならず、またその際に会社は「会社のイベントだから出席しなければならない」という理屈と「遊びなのだから給料は出さない」という理屈のダブルスタンダードを振り回していたようで、社員の不満はどんどん高まっていました。

 

突然の土曜出勤恒常化と出張命令

2022年の5月になり、日本への実習生送り出しがCOVID-19禍以前同様にできるようになってくると、会社は久しぶりに労働契約書の更新を行いました。そこには以前どおり「勤務時間は8時から12時、13時から17時、月曜から土曜まで」と書かれていたのですが、全員が契約書にサインをしたタイミングで、いきなり「今後は土曜日はすべて出勤とします」との通知を出してきました。はっきりいって、これは詐欺です。多くの社員が文句を言いましたが、結局は命令に逆らえず、幾人かは退職したものの、多くはこの命令に従うようになりました。

そして以前は「月~金勤務、特別時は土曜も勤務」だったのが、土曜勤務が基本になってからは、逆に「来週の土曜は休みです。給料は出ません」という通達がときどき出るようになり、無給休暇日を会社が勝手に決めてしまう、つまり会社が勝手に給料を減らしてくる、という状態になってきました。

またこの土曜出勤命令の直前に私は新しく教育部長になっていたのですが、COVID-19明けのホーチミン市の教師は私とコムスメT.T.の2名だけという状況でした。そこに新しく3名の教師を雇ったのはいいのですが、突然「これからローテーションを組んで、教師はみんな2ヶ月周期でメコンデルタの本社に研修出張に行ってもらう」という命令がでました。雇用時に「長期出張あり」との説明もなく、また出張手当が出ないどころか、交通費も「赴任時と帰任時」しか支払わず、週末にホーチミン市へ帰るなら自腹でどうぞ(しかも土曜出勤なので日曜しか帰れない)、また本社での住居は事務所の社長室を使用というムチャクチャさに、命じられた教師2名(コムスメT.T.含む)は辞めてしまいました。そして同時期に、土曜のイベントに参加しなかった男性教師N君も「教員資格持ってないし高卒だし」と突然当日解雇されました(教員資格も学歴も雇用時には説明なし)。残りは私と T先生だけになってしまいました。

つまり私は、教育部長になってすぐに、部署を壊滅させられたのです。

 

T先生とK先生の解雇

この後しばらくして人員も補充されたのですが、T先生はこの頃からストレスのせいか、精神に不調をきたしはじめてしまいました、授業のない時間はぼぉっと宙を眺めて全く動かないようになってしまい、「最近、わたしは日本語だけでなくベトナム語も間違うことがあります」とまで言うようになってきました(まぁ彼女は日本語を机上だけで学んでおり、日本に行った経験もないため、自分の日本語が私に通じないのにショックを受けていたこともあるのですが)。その様子を知った社長はT先生を解雇してしまいました。またこのころ試用期間だったK先生という人もいたのですが、彼は授業見学中メモを全く取らない、教職を始めて2週間経っても赤ペン1本用意してこない、入浴していないようで臭い、日本語の読み書き教授はできるが会話が全くできないということから、私の権限で試用期間中解雇、ということにしました。

これに対して、他の部署で「加藤先生が厳しすぎるからみんな辞めてしまう」という謎の噂が流れ始めました。この頃から社長の意に染まない相手に、また社長の意地悪な部分を他の人への濡れ衣にするためのおかしな噂が流れるようになってきます。

 

溜まっていく不満

2022年後半、日本語も上手な女性教師2名(L先生とP先生)を中心に、文法をよく理解している男性教師、あまり日本語は上手ではないが教え方の上手い女性教師、将来地方本社の教育部のリーダーとなるべく研修中の女性教師の5名が私の部下となり、安定した状態がしばらく続きました。

しかし、部下たちの会社への不満はふつふつと溜まっていきました。

いつかは見直されるだろうと期待していた土曜出勤も見直される様子がない。社員に自腹を切らせる風習が止まらず、教室のあるフロアの掃除用品も学生と教師のカンパで揃えなければならない。紙の無駄遣い禁止令が出され、もっとも紙を使うはずの教育部のプリンターが故障を期に撤去され、他のフロアの共用プリンターも紙の使用制限がかかる。勤務時間は8時17時なのに、社長の鶴の一声で「終業後15分は掃除の時間」という労働契約違反のルールが作られる(これに関しては教育部は私のいるときは拒否。私が休みのときは強制されたそうです)。また新しい総務部長が某県人民委員会(日本で言う市役所)の元窓口係で、社会主義国のそれらしく社員からのクレームは完全にシャットアウトし、社長命令は絶対だと振りかざすようになり、不満の声を聞かない日はないようになっていました。

もともと私は、土曜出勤が決まった時点で妻から仕事を辞めてほしいと言われており、自分自身も「経験を積むため1年は我慢するが、来年以降改善がなければ辞めよう。最低でも隔週週休2日と給料2割以上アップ……」と思っていましたが、そんなときに「黄色いアオザイ事件」が起こります。

 

黄色いアオザイ事件

発端は、2022年の忘年会で女性社員に配られた黄色い布でした。配る際の総務部長の言葉は「これでアオザイを作ってね」でした。ほとんどの社員には、「いつもどおり自腹でアオザイを作って新年会で着なければならない」という情報があとから伝わったのですが、違うフロアに独立した部屋を持っていた教育部には伝わりませんでした(もちろん私も知りませんでした。これまでもずっと自腹だったということ自体)。

そして新年会の4日前、教育部の女性教師がアオザイを作っておらず、配った布も親戚にあげてしまっていたということが判明、それに対し会社が「必ず新年会までにアオザイを作ってくるように。布も仕立てももちろん自腹」という命令を出したことが大喧嘩の始まりとなりました。そもそも給料の安い教職で、テト休暇で給料が減らされる通知があり(ベトナムでは政府の決めた概ね1週間ほどのテト休暇は有給休暇となるのですが、教育機関では2週間以上の休みになるのが普通で、この会社では政府規定の1週間以外は給料が出ません)、パーティーで強制的に着させられる服も自腹ということに耐えられず、L先生が反対の声を挙げたところ……

L先生に関する悪い噂が流れ始めました。曰く、L先生が主導して教育部だけ別の場所で昼食を摂っているのは、会社の分裂を図っているからだ(実際は会社の決めた食事場所のテーブルが足りなかっただけ。他の部署でも別の場所で食事していた人はいた)、L先生はいつも挨拶をしない、などなど。そしてL先生は社長からの叱責を受ける羽目になり、噂を流した犯人を探しはじめた L先生は最終的に総務部長と衝突。社内で大泣きする事件となり、辞表を提出することになりました。

これに対して仲の良かったP先生も辞表を提出、P先生は一度は会社から引き止めがかかったものの、それに応じないとなると、今度はやはり社長からあれこれ難癖をつけられては叱責を受けるようになりました。

そしてこのとき、私はL先生から聞いてしまったのです。L先生入社のころから、女性新入社員は「私は入社後は3年間結婚・出産をしません」という誓約書にサインさせられているということを。これはちょっと信じられない人権侵害です。この時点で、もうこの会社とは付き合えないな、と感じました。あとは辞表をだすタイミングだけです。

 

暗君ぶりが止まらない

L先生とP先生の2人はテト休暇直前での辞表提出のため、退職日はテト休暇があけてからということになったのですが、テト休暇が明けてからも会社からの難癖が止まりません。社長が授業中の様子を監視カメラで確認し、「P先生はずっと座って教えている。もっとアクションをとるよう指導してください」と私に指示を出してきて、さすがにわたしも呆れて「本人に聞きましたが、ずっとじゃないそうですよ」とだけ答えたところ、P先生は社長の呼び出しを受け、泣いて帰ってくるという事件もありました。「この会社はまともに人の言うことを聞いてくれたことがない」と。結局、それを見ていた残りの3人の教師もドミノ倒しのように辞表を提出。この3人はまだ試用期間中だったこともあり、一週間後に即時退職となりました。

私は1年で2度に渡って、自分の部署を「粛清」されてしまったのです。

このとき一度社長と話す機会があり、社長も多数の退職者に少々ショックを受けているようだったので、この機会にはっきりと伝えました。「私が働き始めてからもう80人以上が辞めている。これは社長の責任ですよ。こんなことが続くようでは私ももう仕事は続けられない」と。

しかし辞める人間に対する社長の態度は改まることはなく、ある朝、退職まであと数日しか残っていない部下2名が、まったくの難癖で怒鳴りつけられた時に(教室の鍵の管理をしているのは社長の姉だったのに、朝教室に入れない学生が騒いでいるのを教師のせいにされた)、私も「退職します」のメッセージを送る enterキーを押しました。

 

総括

さて、これを書いている今、私はいわゆる追い出し部屋で仕事をしています。退職を届けて、ある程度引き継ぎの道筋が決まり、新しい教師も入社してきたのですが、社長の指示で私と新しい教師は一緒に仕事をしてはならないということになり(それとなく他の社員が教えてくれました)、一部のクラス以外は教壇にも立ってはならないということになり、またオフィスの模様替えで席の移動もあったのですが「加藤先生は腰も悪いし、引き継ぎに必要な資料もたくさんあるし、もう辞めるから……」と、誰もいなくなった教員室で3週間ほど、ひとりぼっちで仕事をすることになりました。会議にも呼ばれず、全社向けのメールも送られてきません。

いままでは一人しかいないときにはエアコンを消せだのあれこれ言われていましたが、今では使い放題です。社長はどうも、私を視界から排除することで心の平安を保つことにしたようです。正直な話、教育部長として私の仕事量は膨大であり、引き継ぎの人間が「こんなの一人じゃできっこない」と言い出すほどなので(でもその業務リスト、教壇に立ってる時間や、営業部の手伝いをしている時間や、毎月の会話試験の時間や、学生全員のレポートを日本向けに執筆する時間は含んでないよ)、おそらく私の仕事内容は誰もきちんと引き継げないでしょう。顧客に散々宣伝していた、Google spread sheet上のオンライン出席簿や成績表も誰もメンテできずに終了となることは確実です。私がすべて書き直していた顧客への学習レポートもまともな内容ではなくなります。新しい教師も、授業をちらっと覗いた感じではいかにもベトナムのオールドタイプの中年教師と言った感じで、発音どころか文法も間違いが目立ち、リピートアフターミーばかりの授業となっていました。新たに日本人も一人雇われたようですが、週1度のパートタイム教師で、ベトナム語は全くできないそうです(会わせてもらえないので伝聞ですが)。

実習生の扱いに関しても、妊娠した実習生が出たときは帰国出産できるようサポートする、送り出し費用もそこまで高くない、と今まではある程度人権に配慮していたのですが(だから他の事は目をつぶって勤務を続けることができた)、自社の社員の人権も守れない会社が実習生の人権を守れるはずがないので(実際、送り出し手数料は最近かなり値上げされました)、特にCOVID-19禍以降ひどくなった社長の暴走が止まらないようであれば、この会社は次第に評判を落として行くでしょう。業界内に悪い噂は確実に広まっているようです。先日、最後に辞めたH先生から、「よその面接でいままでの勤務先と退職理由を聞かれて、M社だと答えたら、『あの会社ですか、大変ですね、理由は聞きません』と言われた」との話も聞きました。今後は良質な社員も確保できなくなるでしょう。私が辞めた時点で、取引のある日本の実習生受け入れ団体からの評価が下がるのも目に見えています。そのくらい自負できる仕事をこれまでしてきたつもりですから。

こんなおかしな会社に長年付き合ってしまった(最初の数年はおかしさに気づかなかったとはいえ)、という反省はありますが、「ベトナムローカル企業で、通訳等なしで管理職として十分働ける」という自信をつけることはできましたし、教師としての経験もずいぶん積むことができました。ベトナム語も随分上達しました。その点はまぁ良かったかなとは思います

なお先日、女性社員に赤い布が配られ、「国際女性デーにアオザイを仕立てて来るように」との通達があったそうです。いやはや、サイコパス社長の「試し行動」止まりませんね。怒りを通り越してもう笑っちゃいました。ちなみに、この「赤いアオザイ事件」でまた1人辞表を提出し、私の退職日直前にさらに2人の営業部員が辞表を出しました。年初の時点でのホーチミン市支社の社員数は28人。そのうち11人、つまり39.2%が辞めた計算です。あ、それから試用期間中の営業部員も1人逃げたそうです。ほんの3ヶ月で教育部と営業部がほぼ全部入れ替わった形ですね。