ベトナム人の名前と夫婦別姓制度

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もはや世界で日本のみが「夫婦別姓強制国」となり、国連から何度も「選択性夫婦別姓」制度を取り入れるように勧告を受けちゃっていますね。

私はもちろん、選択性夫婦別姓に賛成です。もともとアジアでは夫婦別姓がふつうで、日本の場合は明治時代に何でもかんでも欧米の真似をした結果、夫婦同姓になってしまったという話にすぎません。

さてベトナムではどうでしょう。架空の一家を題材として、ベトナム人の名前と夫婦/親子の姓について解説してみます。
 

そもそもベトナム人の名前の構造は?

まずはベトナム人の名前の構造です。以前Wikipediaに「ベトナムの人名」という記事を書きましたが、これはそのブラッシュアップです。名前の形式は、「姓(hộ)」「ミドルネーム(tên đệm)」「ギブンネーム(tên chính)」の、一般的に2~4音節で成り立っています。姓が通常1音節で、それプラス1~3音節が普通です(1+1の場合はミドルネームがないことになります)。

例として共産革命の英雄のひとり、グエン・ティ・ミン・カイ女史の名前を題に取りましょう。
 


この場合、全部で4音節の名前ですが、どこまでがミドルネームでどこからがギブンネームなのかは、解釈が別れます。伝統的な解釈は一番上の方式で、「最後の2音節」がギブンネームとなります。ただし、学校などで名簿を管理するときは二番目の方式で、「最後の1音節」をギブンネーム扱いにすることが多いようです。

ただし、法律での解釈は違います。法律ではあくまでも「姓と名」だけで扱われるので三番目の方式の「姓以外はみんなギブンネーム」となります。ただしベトナムには昔から「王の法律は村の掟に負ける」ということわざがあり、「法律なんてのは役人が勝手に決めたもの。俺とは関係ない」という考えが強いですので、まぁどうでもいい話です。
 

実際の家族例


 

記事横幅制限の関係で見づらいですがご了承を(クリックで拡大されます)。あくまでも架空の家族であることをご理解ください。なお名前は「この世代はこういう名前が流行ったよね」という世間のイメージに合わせています。

さて名前や姓の継承について解説していきましょう


  • 50代以上は、特に上流階級を除けばほとんどが3音節
  • お年寄り世代のミドルネームは、男はほとんどが Văn(文)、女はほとんどが Thị(氏)
    • 女の場合は「~氏の娘」という封建的な考えから来るものであろう
  • 夫婦は別姓
    • ただし過去の一時期に、結婚後は夫の姓になるルールもあった模様
    • 夫婦同性のことは「hộ theo chồng(夫に従う姓)」と言う
  • 最近の子供は4音節が多い
  • 子は父親の姓を継ぐ
    • ただし役所の許可があれば母の姓も継げる
    • 父なし子も母の姓になる
    • ただし最近の子供、とくに女の子の場合ミドルネームに母の姓をいれて複合姓のようにすることが多い
    • でも法律上は複合姓ではなく、ギブンネームの一部という扱いになる
  • 片親が外国人の場合は創姓してもよい
    • 姓のない文化の人もいるしね
    • この場合お父さんがマクロンさんなので「マック(鄚)」という姓にした模様
    • オリジナルな姓を作ってもいいが学校でいじめられるので普通しない
    • ふつうはベトナム人の親の姓を継がせる
  • 片親が外国人の場合を除き、非伝統的な名前は役所に拒否される
    • キラキラネームはダメ
  • 幼名がある
    • 家族親戚の間だけで呼ばれる幼名がある
    • 昔は魔に取られないようわざと汚い名前をつけたりしていた
    • 今はペプシちゃんとかチェリーちゃんとかキラキラネームが多い

  • といったような塩梅です。そもそもベトナムでは、人を呼ぶときはギブンネームのみ、親しいもの同士でもお互いに姓を知らない、なんてことも普通にあるので、夫婦別姓だろうが、子が誰の姓を継いでいようが関係ない、という雰囲気の社会です。

    日本の場合は、まず人をファミリーネームで呼ぶという風習(これも所詮は江戸時代の武士の、しかも職場のみでの風習だったはず)をなんとかしないといけないかもですね。
     

    なお少数民族は

    さて、上で述べたのはあくまでも主要民族であるキン族の命名法ですが、いまでは少数民族もほぼ同じ形態で名乗っているので、「ベトナム人の名前」でくくってしまっても良さそうです。ただし、以前にこんなケースに遭遇したことがあります。

    「私の名は vvv xxx yyy zzz だが、 zzz と呼ばないで欲しい。我が民族では子の名前の最後の音節に母の名を継がせるのである。私の呼称は本来 yyy である」

    残念ながら民族名を忘れてしまいましたが、こういうケースもないわけではないようです。