中心街を歩く・今日の2食目はビリヤニ

552

※この旅行記は帰国後に書いたものです。ブログの投稿日時を旅行当日に合せています。1リンギは30円くらいです。

 

 

仕上がった洗濯物を持ってホテルに戻る。しばし休憩ののち旧市街中心部を散歩。ジャラン・インディアのアイスクリーム屋でストロベリーアイスをコーンで。1リンギ20セン。マレー語で言えばサトゥリンギ・ドゥアプロセン。このあたりから数字のやり取りは殆どマレー語でできるようになった。ジャラン・インディアの入り口には India Street Mallのネオンがあるが、ここはインド人街という雰囲気ではない。背景からわかるとおり、華人の建物が目立つ。

DSC_0418

 

実際にインド人街になっているのは、ジャランインディアからエレクトラハウスとオープンエア・フードコートへ抜ける細い路地の模様。Mall Lebuh Indiaの看板が目印。ここで氷入りココナッツジュース。1杯1リンギ。

DSC_0417

 

とはいえジャラン・インディアでも香辛料や穀物が量り売りされていた。

DSC_0416

 

ジャラン・インディアに戻って突き当たりまで歩き、パークソン(東南アジアによくあるマレーシア資本の高級志向百貨店)の裏を抜けると亜答街の門がある。わざわざ宣言しなくてもこのあたり一帯すべてが中華街のようなものだけど。

DSC_0419

 

右に折れると中央郵便局。サラワク王国第2代白人王チャールズ・ブルックの時代、1931年の建築。サラワク王国は原住民の反乱にてこずっていたブルネイのサルタンに取り入って領土を貰い受けたイギリス人ジェームズ・ブルックがこの地に立てた国家である。日本による支配ののち、第二次大戦後に3代目白人王ヴァイナー・ブルックが王位を辞退しこの地はイギリス領サラワクに。マラヤ連邦・シンガポール・北ボルネオ(サバ州)と合邦してマレーシアになったのは1963年のことである。

DSC_0420

 

パークソンでしばしウィンドーショッピングをしつつ涼む。1Fにスタバが入っていたので盗撮(^^; カフェラテのラージが12リンギ50セン。物価から考えても「ヤバイほど高い」というような値段ではないと思う。昨年入った上海のスタバは物価比でかなりの高級店だったけれど。

DSC_0421

 

パークソンのまわりではタクシーの客引きが鬱陶しかった。「タクシーは高すぎる!」「まるで東京みたいだよ」などと話して乗らない決意を表明。正面玄関から出て、中央郵便局と同じく1931年建設の警察署の前を通り過ぎ、結局はラクサを食べたフードコートの近くまで戻ってしまった。再度川沿いに出ると店開きしたばかりのサテ屋があったので3本買う。1本1リンギ。ついでに近くのスタンドで水1本1リンギ。

 

マレーシアのバイクは不思議な場所にナンバーが書かれている。

DSC_0423

 

旧市街も西側に行くと漢字よりもアルファベットが目立つ。

DSC_0426

 

時刻はもう16時近く。10時半ごろにラクサの小椀を1杯食べただけなのでそろそろ空腹になってきた。インド人街に再度立ち寄ってふらふらしていると美味しそうなビリヤニのテイクアウト販売の店があった。イカンビリス(干し小魚)とサテ1本を乗せてもらいチリソースをかけて3リンギ。量を考えればそう安くもないか。

DSC_0427

 

エレクトラハウスの出口にエアコンの風が漏れてきて腰掛けやすい場所があったので座り込んで食べる……と、近くに座っていた中年男性が嫌そうな顔をして去って行った。マナー違反だったか、と思ったがよく考えてみれば今はラマダンの真っ最中である。おそらく彼はこの涼しい場所で断食に耐えていたのだろう。申し訳ないことをしてしまった。