6月5日:デット島からクラチエまで、ラオス-カンボジア国境移動(後編)

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※この時所持していた通貨のレートはおおよそ10千キープ=14.06円でした。
※地図と旅程はこちらを参照。
※ここでは主に英語と、「指差し会話帳」だのみの簡単なクメール語を喋っています。概ねここでは英語が通じました。

 

国境ゲート手前でサムローを降りる

30分・20kmほど走って国境手前に着いたのが9時37分。手元に100千キープと20千キープ札しかなく、運転手がお釣りがないと言い出したら面倒だなと思ったが、細かいお札をかき集めてくれてのお釣りとなった。ここからは200mほど歩いてラオス出国ポイントへと向かう(出国ポイントまで行くと警官にいちゃもんをつけられるのだろう)。ここでは、普通存在する「事前のパスポート所持確認」は行われず、そのまま入管の建物に入って行けてしまった。建物の入り口にいた男たちに、奥の方を指差して首を傾げてみると、ウンウンと頷くのみ。Departureとある窓口にパスポートを出してサイバイデーと挨拶をする。しばらくパスポートとこちらの顔を確認した後、入国管理官の言ってきた言葉は「2ドル」であった。

……東南アジアではよくあることとは言え、やはり口惜しい。「no money」と一言言うと、「no money is no xxxxx」と何か聞き取れないことを言う。聞き取れずとも言いたいことはわかる。30秒ほどの沈黙の後こちらが折れて、15千キープ(正規レートで1.8ドル)を渡すとパスポートにスタンプを押して返してきた。

立ち去りかけてから、出国カードを渡していないことに気づいて戻る。出国カードを渡すと「パスポート」と言われ、パスポートも渡すと、今になってからなにかの台帳に内容を記入している。ここの管理体制、大丈夫なのだろうか。


出国ゲートを出てカンボジアの入国ゲートへ(※こういうところでは普通写真禁止です)

また200mほど歩いた先のカンボジア側のゲートにはきちんとパスポートチェックの職員がおり、ラオスの出国スタンプと顔写真ページの確認があった。入管の建物の手前にあるVISA Officeに向かうと、制服のおじさんたちが軒先でカフェをしている。「スゥスダイ」と挨拶すると「VISA?」と聞かれ、頷くと事務机のある場所に案内されてVISA申請フォームへの記入となった。私は旅行先では1000円程度の安い万年筆を持ち歩いているのだが、いつもと同じように「美しいペンだ。日本のか? カンボジアにはそういうのないからな」と羨ましがられる。

書類に記入してパスポートとともに提出する。持ってきたはずのパスポート用写真がないので、「sorry, I have no photo」と告げると、「37ドルだ」と言われる。写真なしの場合に2ドル追加なのは今までも経験がある。しかしビザ代30ドルのはずなのに、5ドルも追加か。噂に聞いてはいたが、この国境では本当にビザ代が5ドル上乗せのようだ。手持ちのドルは30ドルしかなかったので、10ドル札と20ドル札を渡して、しかる後に100千キープ札を見せると、5ドル札と引き換えに100千キープを渡すことになった。咄嗟で計算できなかったが、100千キープ≒12ドルという計算のようだ。まぁ、公定レートとあまり変わらない数字でほっとする。

しばらく待つとビザを貼ったパスポートが返却され、「STAMP」の矢印の示す方に行くと出国審査場があった。今まで触れなかったがこの国境は非常に閑散としており、他の旅行者を見たのはここが初だった。事前にビザを用意してきて、車もチャーターしているとみえる中国人の夫婦旅行者である。単に挨拶のつもりで「ニーハオ」といったのが、中国語がわかるのかと思われてしまい、あれこれ話しかけられて困ることになってしまった。ここで入出国カードを書いてパスポートとともに提出し、数分待つと出国完了となった。ビザ代に7ドルも乗せられたのだから、ここで賄賂を要求されたらどうしようか、怒ってしまいそうだと思ったが、それは杞憂に終わる。


ビザと入国印

入国を終えたのが10時半過ぎ。島を出てから2時間ちょっとだ。さあバスでも探すか、と思うと、サングラスに髪を明るく染めた小柄な女性が「どこに行くの?」と英語で話しかけてくる。「クラティエ」というと、少し考えた後で「グロチェ?」と聞き返してきた。なるほど、そういう発音なのか。「19ドルだ」というので「高い。そんなお金はない」といいつつも彼女の案内に従って進むと、国境ゲート出口近くの商店に案内された。バスの切符になるのだろう、複写紙の台帳を持った男を紹介され、「グロチェ」と言うと、「13ドルだ」という。まぁ、そのくらいなら仕方ないか……、ええと、船が15で、サムローが60だから75千キープは何ドルだ? デット島のツアーデスクの看板にはストゥントゥレン188千(22ドル)、クラチエ238千ドン(28ドル)くらいのことが書かれていたはず、ええと、いくらならあそこより安くなるか……などと考えている隙もなく、「クラチエまで13ドル」の切符を渡されてしまい、支払ってしまうことになった。国境ではいくら冷静にゆっくりと物事を進めようとしても、なかなかうまく行かない。

このときドルは、国境でもらったお釣りの5ドルしか持っていなかった。この商店では両替もやっているので、手元に残った155千キープを渡して両替を頼むと18ドルになった。80セントほどの手数料となるが、5%程度ならまぁいいだろう。思わず英語ベトナム語混じりで計算をする。ついでにMetfoneのSIMカードを2ドルで、インターネット用の課金カードを1ドルで購入する。バスは14時頃出発だそうで随分時間が余ってしまう。あんなに早く出立する必要はなかったか。確かにデット島のツアー看板はどれも11時出発くらいだったな……。


バス会社は Che Nangというこのあたり大手のようだった

この商店のお母さん(美人)には2人の娘と1人の赤ちゃんがおり、娘2人はまだまだラオ語とクメール語を混同して話している私のラオ語語彙にも反応している。試しにラオ語で1から10まで数えてみるとすぐに食いついてくる。言い間違えるとお母さんがすぐに指摘をする。これは面白い、と思って、持ち歩いていた『旅の指さし会話帳』のラオ語版とクメール語版を渡してみると、二人とも食いつくように読んでいた。ラオ文字も問題なく読めるようだ。さすが商売人の子である。おねえちゃんは恋愛に関する語句のあたりを読んで大笑いしてお母さんに見せている。


語学に興味津々な姉妹

ちょうど昼時なので麺料理を頼む。メニューに「noodle soup」とあるのを、「クィティアウか?」と聞くとそうだと言うので頼んで2ドル。「マテーヘ」と唐辛子も出してもらう。ううん、ベトナム南部と同じ甘くて濃厚な味付けだ。久しぶりに出汁の聞いたものを食べて満足する。


クイティアウ、2ドル。

飯を食べ終えると、14時と聞いていたバス(ミニバン)がすぐ出発するという。客が集まらないので諦めたのだろうか。一度私だけを乗せて出発した後、一度また商店の前に戻り、大雨の降り始めた中であれこれ荷物を積み、また隣の飯屋にいた白人カップルも乗せて、12時40分ごろに再出発となった。このあたりのカンボジア・ラオス国境は、街道の右側がカンボジア、左側がラオスという場所が長く続く。国境線はどうなっているのだろうと興味があったが、実際に見てみるとラオス側は深い雑木林になっているだけだった。おそらく、ここを踏破すれば簡単に国境侵犯はできてしまうのだろう。

雨は降ったりやんだり。カンボジアの田舎道は舗装されていない道路もまだ多く、「赤土の大地」という言葉を思い起こさせる。

すこし窓を開けているだけで髪に赤い砂がまとわりつく。櫛を通すとこんな状態。


バスは大雨の中を進み、13時50分過ぎにはストゥントゥレンの街へと入っていった。バスターミナルで「乗り換えだ」と降ろされてみると、そこはこのバス会社の休憩所となっており、大量の白人観光客が飯屋でバス待ちをしていた。その中にはデット島で何度か見た顔もある。同乗してきたカップルと少し話をした後、アジア系の乗客数名が集まっていたテーブルに移動してコーラ(1ドル)と水(2000リエル)を飲む。2組のカップルのうち、派手な入れ墨をしたマレー系華人のようにみえる方はラオス行のバスに乗って去り、他の白人客もシェムリアップゆきのバスに乗って去っていった。私を含む残された数名、私、アジア系の垢抜けたカップル(後にカナダ人と知る)、白人カップル2組だけが、15時に来たプノンペン行きに乗ることになった。


今回の旅程には関係ないが、ここからベトナムのザライ省ゆきバスもあった

結局バスがクラティエの街に到着したのは17時頃だったか。運転手にクメール語で「クラティエで降りる、第10通りのあたりに行く」と言ってはいたのだが、降ろされたのは第7通り近くのバスターミナルだった。ひどい大雨のためにミニバンから降りるのにも一苦労だったので写真も取っていないが、大きな寺院の向かいである。しばらくカナダ人カップルと話した後、コントゥムで買った雨合羽をバックパック・ショルダーバッグともに守れるように着込み(あとで気づいたが、左の脇腹が裂けていた。浸水被害はなかったので脱いだ時のものだろうか)、小ぶりになるのを待って第10通りの安宿へ。最初の宿は「6ドル。ただしエアコンの部屋はない」と言われ、その向かいの中華系旅社もエアコンなし、メコン川沿いの「U-HongII guest house」にエアコン・ファン・WiFi付きシングル12ドルの部屋があったので泊まることにした。バスターミナルで別れたカナダ人カップルもこの宿の前で鉢合わせ、結局同じ階に泊まることになった。

シャワーを浴び2時間ほど休憩してから受付階に降りると、宿帳を書いて前払いをしてくれと言われる。ドルがないのでATMを教えてくれと言うが、英語の出来ないおじいさんは街の中心を指すだけである(普段の業務は英語の出来る娘さんが主にやっている)。大雨の中結局2kmほど往復して4日分の生活費+アルファの130ドルを降ろす。日本側含めて手数料5ドルほどは痛いが現金が尽きているのでしょうがない。帰りに2000リエルの大ボトルの水、2ドルの携帯電話チャージを買い、宿に戻って炒麺とビール2本で5ドル。初日で疲れているからこのくらいの贅沢はいいだろう。結局雨は夜更けまで降り続いていた。